「入門者向け時代伝奇小説五十選」公開中

 特別企画として「入門者向け時代伝奇小説五十選」(第一期)を掲載しています。
 入門者にとって、間口が広いようで狭いのが時代伝奇小説。何となく興味はあるのだけれど何を読んだらよいかわからない、あるいは、この作品は読んでみて面白かったけれど次は何を読んだらよいものか、と思っている方は結構な数いらっしゃるのではないかと思います。
 そこで今回、これから時代伝奇小説に触れるという方から、ある程度は作品に触れたことのある方あたりまでを対象として、五十作品(冊)を紹介したいと考えた次第です。

 さて、第一期五十選については、膨大な作品の中から以下のような条件で選定しています。
(1) 広義の時代伝奇小説に当てはまるもの
(2) 予備知識等がない方が読んでも楽しめる作品であること
(3) 現在入手が(比較的)容易であること
(4) 原則として分量(巻数)が多すぎないこと
(5) 一人の作者は最大二作品まで
(6) 私自身が面白いと思った作品であること

 そして、その五十作品を、それぞれ五点ずつ以下の十のジャンル・区分で分けています。
1.定番もの
2.剣豪もの
3.忍者もの
4.SF・ホラー
5.平安もの
6.室町もの
7.戦国もの
8.江戸もの
9.幕末・明治もの
10.期待の新鋭

 上記はあくまでも便宜上の区分であり、必ずしも厳密に該当するわけではない(あるいは複数に該当するものも多い)のですが、ご覧になる方に一種の目安としていただくためのものとしてご了解ください。

 この五十選が、楽しい読書の一助となればこれに勝る喜びはありません。

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2012.05.26

「楊令伝 十一 傾暉の章」 国という存在、王という存在

 先日ついに刊行開始された「岳飛伝」。その前作に当たる文庫版「楊令伝」もいよいよラスト1/3に突入してこれで第11巻ですが、前の巻同様、この巻でも比較的平和な梁山泊の姿が描かれます。
 しかしそれは嵐の前の静けさ。大陸は一種の戦国時代を迎えることになるのですが…

 童貫が梁山泊に敗れ、開封府が金軍により陥落したことで、国としては風前の灯火となった宋国。
 趙構を帝に戴く形にはなったものの、しかし直下の官軍は、金軍の執拗な攻撃から帝を守って逃げ回るのが精一杯。その一方で、共に童貫の下で戦ってきた岳飛と張俊は、それぞれ軍閥を作り、己の領地経営に奔走することとなります。
 一方、一応の勝者であるはずの金国も、朝廷内の派閥争い、皇帝・呉乞買の後継者争いで一枚岩と言えず、宋に侵攻した軍の内部も揺れる状況…

 そんな中、ほとんど唯一平穏を保つ梁山泊は、貿易による立国という楊令のアイディアを実現するため、西域との貿易路を確立せんと努力することとなります。
 実はこの巻においては、かなりの部分が、この貿易路確立――その途中に存在する西夏、西遼といった国家との外交交渉の描写に割かれているのですが、これがなかなかに面白い。
 軍と軍が直接ぶつかり合う戦の描写に比べれば、外交のそれは退屈…というのは、本作においてはあてはまりません。
 外交もまた、二つの国、二つの勢力のぶつかり合いであり、直接的な力の行使が伴わないだけ、逆により激しく水面下でぶつかり合い、その後の歴史を変えかねぬものがあると、本作では実感として教えてくれるのです。

 考えてみれば、本作においては、「水滸伝」の頃から、直接的な戦いだけでなく、水面下での人と人との交渉が、重要な要素として存在していました。
 それがここでスケールアップされた…という印象もありますが、それ以上に、この「楊令伝」においては、「国」という存在がクローズアップされてきたと言うべきでしょう。

 冒頭で一種の戦国時代と述べましたが、まさに本作においては、様々な国――その形を取らなくとも、一定上の規模と領土を持つ勢力――が割拠する姿が描かれます。
 実質的に宋を倒しながらも、全土を征服することなく、限られた領土のみを富ませる方向に進んだ梁山泊。いま滅亡の直前となりながらも復活への胎動を見せる宋。いままさに発展期にありながらも、その速度が逆に国のあり方を歪める金。宋・金と国境を接しつつも一定の距離を保つ西夏。
 その他、まだ国としての形は取っていないものの、中央アジアの族長たちをまとめつつ力を蓄える耶律大石。そして未だ己の行くべき道を迷いながらも、己を慕う者たちを養うため、そして軍としての力を保つため、国というものを考え始める岳飛――

 前作、そして本作の半分ほどまでは、梁山泊の最大の目的は――その先に理想の国作りはあったとはいえ――一貫して、宋という国を倒すことが目的でした。
 しかし、腐敗した国は倒さなければならないとしても、国を倒しただけで全てが解決するわけではありません。人が、一定規模以上の人が生きていくためには、秩序が必要となるのであり、それを維持するための制度と財、そして力が必要となります。
 本作でいま描かれているのは、まさにその国が生まれる過程であり、生まれた国が成長していく姿であります。

 そして(少なくともこの時代においては)国が国として存在するためには「王」の存在が必要となります。一つの国を倒した者が次の王となり、新たな国を作る――そのある意味当然のサイクルを、しかし、楊令は拒否するかのように描かれます。

 それは、梁山泊がそれを必要としない国であることをも意味するわけですが、しかしあまりに時代を先取りしすぎたと言える梁山泊が、果たしてこの先も国として存在し得るのか。
 それがこの後の本作の物語となるかと思いますが――楊令がかつて「幻王」と名乗っていたことが、ここに来て、何とも皮肉に感じられるのです。

「楊令伝 十一 傾暉の章」(北方謙三 集英社文庫) Amazon
楊令伝 11 傾暉の章 (集英社文庫)


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 「楊令伝 九 遙光の章」 国の終わりと興りに
 「楊令伝 十 坡陀の章」 混沌と平穏と

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2012.05.25

「黒猫DANCE」第1巻 黒猫が見つめる総司の未来

 時は嘉永5年、多摩郡日野で暮らす少年・沖田惣次郎は、無頼の青年・土方と共に、町を襲った盗賊を斬る。剣の道を志すようになった惣次郎は、地元の天然理心流道場で豪快な青年・島田(後の近藤勇)と出会う。後に新撰組の中枢を担う三人の出会いから、歴史が動き出す…

 いつになっても変わることなく人気の新撰組、その新撰組を扱った漫画が一体いま幾つあるのか、私にもわかりませんが、その中にまた一つ、新たな作品が加わりました。
それが本作、「黒猫DANCE」…タイトルだけ見ると新撰組もの、時代ものには到底見えませんが、少年時代の沖田総司を主人公とした、なかなかにユニークな作品です。

 「源さんも山南も平助も山崎も、近藤さんも死んだ。新撰組は壊滅だ。剣の時代は終わったんだ」
 洋装の土方歳三の、そんな衝撃的な言葉から始まる本作。
 実はこれは、9歳の少年・沖田惣次郎、言うまでもなく後の沖田総司が見た夢の中の出来事。それが後にどんな意味を持つことになるかは、当の惣次郎にとってわかるはずもなく、夢に過ぎません。

 …しかし、それが運命であるかのように、その日、惣次郎は18歳の土方歳三と出会い、そしてその手で初めて人を斬ることとなるのです。


 まだまだ虚構の入り込む余地は少なくないとはいえ、幕末の有名人としてやはりそれなりに記録も残っている新撰組の面々。
 そのため、登場人物の造形や、彼らが出会う事件などは、どうしても似てくる部分は出てきてしまうもので、実のところ、近藤や土方のキャラクターは従来の作品に見られるそれとさまで異ならないように感じます。
 しかし未知数なのは、まだ子供の総司。彼にはまだまだ様々な未来の可能性があるということでしょうか――総司がどのようなキャラクターとして描かれることとなるのか、それはこれからのお楽しみであります。

 …そして、実にこの点こそが、本作最大の仕掛けであるようです。
 恐らくはタイトルの由来であろう、総司の前に現れた一匹の黒猫。その黒猫は、総司の未来への選択を見守る存在として描かれるのであります。

 その黒猫(の、ようにみえるもの)が、果たして何者なのか、それはまだわかりません。しかし、黒猫と沖田の因縁は、新撰組ファンであればよくご存じの通り。この黒猫はあの黒猫なのか、だとすれば、未来と過去を見通しているようなこの存在は――


 と、気になる仕掛けはあるのですが、実は私が何よりも本作を気に入っているのは、第1話ラストのこのナレーションがあまりにも格好良かったためであります。
 「それは人類史上最後に剣の高みに辿りつく男の最初の一振りであった」というナレーションが。

「黒猫DANCE」第1巻(安田剛士 講談社月刊マガジンKC) Amazon
黒猫DANCE(1) (講談社コミックス月刊マガジン)

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2012.05.24

「もののけ本所深川事件帖 オサキと江戸の歌姫」 そして深川に誰もいなくなった

 深川で大人気の十人組の歌組「本所深川いろは娘」。その中で一番人気の娘・小桃の死体が大川に上がった。その代役として指名されたのは、周吉が奉公する献残屋の娘・お琴だった。お琴に付き添っていろは娘と共同生活を送る周吉だが、メンバーが「十人の仔狐様」の歌詞通りに次々と死んでいく…

 今年に入っても毎月ペースの高橋由太、5月の新刊は久々の「もののけ本所深川事件帖」シリーズ、「オサキと江戸の歌姫」であります。
 これまで大食い大会、婚活と時事ネタ(?)を取り込んできたこのシリーズですが、今回は何とAKB!? しかも、彼女たちがクローズド・サークルの中で童歌の通りに次々と殺されていくという、「死神の子守唄」…というよりその源流の「そして誰もいなくなった」ばりの連続見立て殺人が描かれることになります。

 雨の続く深川で、かつて雨を止めたという伝説の歌「十人の仔狐様」を歌う歌組(アイドルグループ)の「本所深川いろは娘」。その中で一番人気で真ん中に立つ小桃が死んだことから、物語は始まります。
 歌組は十人である必要があると、強欲な興行主が目を付けたのは、主人公・周吉が務める献残屋の一人娘・お琴。泣く泣く新メンバーとなったお琴の身の回りの世話のために、オサキともども合宿所である神社で暮らすこととなった周吉ですが――

 そこで彼が目の当たりにするのは、「十人の仔狐様」の歌詞の通り、一人、また一人と、奇怪な死を遂げた娘たちの死体と、そこに残された謎めいたメッセージ。
 それでも興業を止めようとしない興行主と、歌組以外には行く場所もない娘たち。大川が決壊しかねないほどの雨が降る中も死体は増え続け、ついにお琴とあと一人を残すまでに…


 と、終盤まで十人の女の子たちが一人一人死んでいくという展開。しかもお琴以外の女の子たちは、いろは娘が解散となったら、身を売るしかないという厭な境遇で、非常に重い気分になっていきます。
 元々高橋作品は(毎回言っているような気がして恐縮ですが)、キャラクターの明るさ、楽しさに比して、ストーリー自体はシビアで重い話が多いのですが、本作はその中でも屈指と言えるかもしれません。

 しかし、その果てに結末で明かされる真実を何と評すべきでしょうか。
 犯人の心にあったのは、他者を想う心であり、そして自分を含めた皆が(正確には一名を除いて)幸せになれる道であった――乱暴なアイディアではあります。あまりにも理不尽で身勝手な動機ではあります。
 それでも、この状況に、この境遇にあった者であれば、こう考えてももしかしてはおかしくないのではないか…私はそう感じました。
 周平がほとんど傍観者に終わっているというのは残念でありますが(彼の境遇からすれば、もしかすれば犯人の理解者となれたかもしれないことを考えれば特に)、しかしそれでもなお、これまでのシリーズで最も読み応えある作品でありましたし、作者の作品の中でも一二を争う出来の作品ではないかと、心から思います。

 ミステリの古典的名作を本歌取りしつつ、新たな内容を提示してみる…このミス大賞出身は伊達ではない…そんなことを再確認させられる作品であります。

「もののけ本所深川事件帖 オサキと江戸の歌姫」(高橋由太 宝島社文庫) Amazon
もののけ本所深川事件帖?オサキと江戸の歌姫 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)


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2012.05.23

「ナウ NOW」第1巻・第2巻 韓国からの武侠漫画見参!

 かつて中原を震撼させた希代の殺人鬼・破軍星。彼が残したという伝説の武功・「四神武殺法」が記された書物を巡り、鬼悪谷では武林の達人たちの死闘が繰り広げられていた。そんな中、それぞれの目的で谷を訪れた劉世河とアリンは、ただ一人、四神武殺法を守る謎の少年・沸流と出会うのだが…

 韓国産の武侠漫画というのは、日本におけるそれよりも遙かに多い数が発表されているようなのですが、しかしほとんど日本では読むことができなかったのが事実。
 そんな中、「黒神 Black God」の朴晟佑の大長編武侠漫画「ナウ(儺雨) NOW」の刊行がスタートしました。

 稀代の豪傑あるいは殺人鬼・破軍星(パグンソン)が残したという「四神武殺法」の秘伝を巡り、たった一人でその殺法を守り続けてきた沸流(ビリュ)と、その争奪戦に巻き込まれて同門の人々を失った劉世河(ユセハ)、二人の少年を中心とした物語――のようであります。

 ようであります、というのは、今回同時刊行された第1,2巻の段階では、まだまだ物語はプロローグと言った印象を受けるためです。
 武林の豪傑たちが正邪入り乱れて秘伝書の争奪戦を行うという背景。沸流と劉世河、そして二人のヒロインの出会い。そして彼らに襲いかかる謎の敵たちの影――
 武侠ものの導入部としてはまず標準的なパターンかと思いますが、ここから千変万化、幾らでも転がっていくのもまた武侠もの。現時点ではどのような物語になるか正直なところわからないのですが、しかしそれだけに引き込まれるものがあるのもまた事実であります。
(もっとも本作の場合、第一部と言うべき「天狼熱戦」という作品があるとのことなので、それを受けての部分があるかとは思いますが…武侠小説ファン的には「射雕英雄伝」と「神雕侠侶」のような関係と考えればいいのかしら)

 ちなみに第2巻までで感心したのは、ヒロインの一人(であろう)ケモノ属性の少女・貂鈴(チョリョン)のキャラクター造形。
 別に本当の獣人というわけではなく、ある人物の手で獣のように育てられた少女…という設定なのですが、言動からコスチュームデザインに至るまで、見事にその属性を満たしているのには、全くケモナー趣味のない私でも面白く感じた次第です。


 閑話休題、様々に魅力のある作品ではあるものの、本作にはしかし、いささか残念な部分もまた存在します。
 それは、武侠ものという本作のジャンルに起因するもの――武侠ものというジャンルがまだまだなじみ深いものとは言えない日本の読者が、いきなり武侠の世界が、概念が、用語が所与のものとして存在する本作を読んで、すぐに入っていけるのか? という点であります。

 この辺りのフォローは、本作に限らず難しい部分かとは思いますが、本作で初めて武侠ものに触れる読者も少なくないであろうことを考えれば、あだやおろそかにはできますまい。
(個人的には、公式サイトを見て、初めて本作がどこの国の、いつの時代が舞台がわかるというのもちょっと…)

 本作は全25巻とのこと、まだまだ長丁場でありますが、この辺りも含めて、どのように展開していくのか――
 色々な点で、大いに気になる作品なのであります。


 ちなみに第2巻の巻末に収録された独立した短編「縊鬼」は、泊まった人間が縊死して見つかるという呪われた部屋に泊まった道士の運命を描くホラー。
 ラストのひねりがなかなか面白く、途中のアレはコレのためであったか!? と思わされる、ユニークな作品でした。

「ナウ NOW」第1巻・第2巻(朴晟佑 新紀元社Korean Enterteinment Network) 第1巻Amazon / 第2巻 Amazon
ナウ-NOW 1 (Korean Enterteinment Network)ナウ-NOW 2 (Korean Enterteinment Network)


関連サイト
 公式サイト

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2012.05.22

「象印の夜 新・若さま同心徳川竜之助 1」 帰ってきた若さまの最悪の一日

 辻斬りが江戸の夜を騒がす中、南町奉行所の同心たちがフグに当たって倒れてしまった。そこに象に踏みつぶされたという男の死体が発見され、ただ一人無事だった竜之助が単身探索にあたることに。しかし、その後も次から次へと怪事件・珍事件が発生、食うものも食わず奔走する竜之助が知った真相とは!?

 若さま同心が帰ってきました。田安家の十一男坊・徳川竜之助が、福川竜之助と名乗って南町奉行所の同心見習いとなって大活躍――という「若さま同心徳川竜之助」シリーズが、「新」の字を冠して復活したのであります。

 ここで正編をご覧になっていた方は驚かれるかもしれません。正編の方は全13巻できっちり完結、後日譚までしっかり語られているのですから…
 果たしてあの後にどう続けるのか!? と思いきや、今回描かれるのは、正編の第2巻から第5巻の間を舞台とした物語。竜之助が葵新陰流の秘剣・風鳴の剣を振るって活躍していた頃を舞台とした、いわゆる「語られざる事件」なのであります。

 正直に言って、この設定を知った時には、私としては複雑な想いがありました。確かにこのシリーズは私も大好きですが、しかしシリーズの魅力の一つは、竜之助が遣う葵新陰流を狙う数々の剣客との対決や、流派そのものに潜む秘密といった、タテ糸の部分にあったことも事実。
 そのタテ糸を欠いた状態で果たして…と思ったのですが、しかし私があさはかでありました。個々の事件というヨコ糸の部分だけでも十分面白い、いや、猛烈に面白いのであります。

 さて、本作の最大の特徴は、竜之助が挑む事件が、次から次へとひっきりなしに起きることであります。
 象に踏みつぶされて死んだという男と、その近くで殺されていた夜鳴蕎麦屋。行方不明となった蜂須賀家の姫君や辻斬りの下手人探し――
 ハウダニット、ホワイダニット、フーダニット…とにかくあやうく両手の指で数え切れなくなりそうな数の、それも様々なタイプの謎が入り乱れて登場するのであります。

 それに挑むことができるのが、夜食に用意したフグ鍋に当たったという情けない理由で、南町奉行所常町廻り同心がほぼ壊滅状態となったため、竜之助ただ一人(正確には違うのですが、まあ戦力になるかと言えば…)という設定も実に楽しい。
 かくて我らが竜之助は、復活早々、ほとんど二昼夜ぶっ続けで事件の謎に挑むことになります。

 実は正編の方は、1冊辺り4話程度の事件から構成される、連作短編集的なスタイルを取っていたのですが、本作では1冊通して一つの…いや一塊の事件を追うという構成。
 それが物語に良い感じの複雑さ、というか混沌ぶりを与えてくれて、ミステリとして見ても実に面白い作品となっているのであります。
 ちなみに、一つの長大な続きものとしてのタテ糸がないということが、後に引けない1冊勝負(?)的な状況に繋がり、それが上記の複雑さを生み出しているのも実に興味深いことであります。

 そしてもう一つ、シリーズのファンにとって楽しいのは、本作において、竜之助を取り巻くヒロインの一人であったやよいのキャラクターの掘り下げが行われていることです。
 福川家の女中、実は田安家のくノ一というやよいは、「色気の征夷大将軍」(竜之助談)というほどの色気たっぷりの女性。彼女と一つ屋根の下で暮らす竜之助は、しばしばクラクラしていたものですが、さて彼女が竜之助のことを普段どう思っていたかは、正編の方では描かれなかった部分であります。
 それが本作においては、一部のパートが、やよい視点で描かれることになります。

 これは、実は正編が完結して初めて可能になる構造なのですが、単純に時間を遡ったように見せて、こうした続編ならではの仕掛けを用意している辺り、なんとも心憎いではありませんか。


 そんなわけで、最初に感じた想いはどこへやら、最後までニコニコ顔のまま読み終えた、いや読まされた本作。
 まさに「群盲象を撫でる」を地でいく内容でいて、その「象」が、「国家」や「時代」という目で見えるようでいてどうにもつかめない存在の象徴としても読むことができる辺りも実に見事、としか言いようがなく、まさに脂の乗りきった作者ならではの作品としか言いようがありません。

 こういう復活は大歓迎、さあ次の巻を…と、早くも期待してしまうのであります。

「象印の夜 新・若さま同心徳川竜之助 1」(風野真知雄 双葉文庫) Amazon
象印の夜-新・若さま同心徳川竜之助(1) (双葉文庫)


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2012.05.21

「夢追い月 蘭学塾幻幽堂青春記」 怪異も青春の一ページ!?

 幼い頃からの憧れの人物である蘭学者・玄遊の塾に入るため、多摩から京に出てきた少年・水野八重太。しかし実際の玄遊はいい加減な人間、塾生も変わり者ばかりで、学問に集中できぬ八重太は鬱々とした日々を過ごしていた。そんな中、八重太が誘われた名門蘭学塾では、奇怪な事件が起きていた…

 「一鬼夜行」シリーズで妖怪時代小説ファンの心を掴んだ小松エメルの新シリーズがスタートしました。
 幕末の京を舞台に、蘭学への向学心に燃える少年を主人公にした本作を一言で表せば…幕末青春学園(!?)ホラーなのであります。

 主人公の八重太は、学問への情熱と負けん気の強さでは誰にも負けない…のですが美少女顔で体力と腕っ節には自信のない十五歳の少年。
 そんな彼は、自分が生まれる際に、難産だった母と自分を救ってくれた蘭学者・玄遊に憧れ、彼の下で学ぶため、はるばる多摩から京にやってくるのですが――
 初めて出会った玄遊は、酒と女にうつつを抜かす昼行灯。彼の塾に集った生徒たちも、人は良いが頼りない菅谷、熱血喧嘩バカの中村、からくりオタクの泉とおかしな人間ばかり。おまけに賄い係の少女・千草にもいわれのない敵意を向けられ、八重太はロクに学問もできないまま、三ヶ月を過ごすことになります。

 そんなある日、同郷の先輩から名門塾への転籍を勧められる八重太。彼にとっては願ってもない誘いですが、しかし先方の塾生たちは、まるで何かに取り憑かれたように様子がおかしい。しかも、嫌味でクールな塾生・秋貞が何かと絡んできて、八重太は思いもよらぬ大騒動に巻き込まれることに――

 というあらすじを見ればわかる通り、本作は、過去の時代を舞台にしつつも、基本的な骨格やキャラクター配置は、古き良き学園ものを彷彿とさせるものがあります。
 生真面目だけど空回りしがちで周囲から可愛がられる主人公、一癖も二癖もある怪人揃いの先輩たち、頼りになるのかならないのかわからない師匠…いずれも学園もののフォーマットの一つですが、なるほど、蘭学塾を舞台とすれば、江戸時代にこうして学園ものができるのか、とコロンブスの卵を見た思いであります。

 しかし、本作は、奇をてらっただけの作品では、もちろんありません。
 取り合わせの意外性もさることながら、むしろそれとは逆に、我々にも馴染み深い学園という空間を舞台として描くことにより、いつの世にも――幕末でも、現代においても――若者たちの熱意というものは変わらない、かつての彼らの想いが、今の我々にもあることを、本作は教えてくれるのですから。
(その一方で、本作の事件の発端ともいえる過去の惨劇や、主人公である八重太の境遇など、過去の時代でなければ、過去の時代ならではの物語を描き出すのも心憎い)


 もっとも、八重太自身の悩みと、過去の事件に起因する事件と、さらにもう一つの事件が平行して描かれる構成によって、もちろんそれぞれが密接に関わり合うとはいえ、物語展開に慌ただしい印象が生じているのもまた事実。
 いや、それらが平行すること自体に違和感を感じる方もいるかもしれません。
 しかし、彼らにとっては怪異すら青春の一ページ。この世のものであろうとなかろうと、彼らの経験することが、彼らにとって貴重な財産となるのでしょう。

 そして青春のただ中にいるのは、八重太のみではもちろんありません。彼をとりまく仲間たちもまた、それぞれの想いを抱えて、蘭学を学んでいるのですから…
 これから描かれるであろう八重太の、そして彼らの青春の姿が――すでに青春が過去のものとなってしまったおじさんとしても――楽しみなのです。

「夢追い月 蘭学塾幻幽堂青春記」(小松エメル 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
夢追い月 (ハルキ文庫 こ 8-1 時代小説文庫 蘭学塾幻幽堂青春記)

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