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2004.02.22

再び「サムライガン月光」

 先日書いた「サムライガン月光」の感想についての自己レス。

 連載時の最終回を読んだ時も思ったのですが、やはりクリス・Dを救えなかった月光が、今度は絹を救うことが出来た。そして絹は自分の身をすり減らしつつも、何年かかっても月光に再び会おうとしている。それが「月光は一体何のために生まれてきたのか」の一つの答えなのでしょう。
 キツい言い方をすれば「利用」されるためだけに生まれてきた月光が、初めて(最後に、とは言いたくない)自分を利用するためでなく、愛するために求めてくれた人を得ることができた。それは月光にとって(本人がそれを認識できるかはわかりませんが…)救いであり、幸せと呼んでもいいのかもしれません。そして絹にとっても、月光を追い求めることは、これから先の人生を生き抜いていく最大にして最高の原動力・生きる目的なのでしょう。ラストシーンで絹の傍らに立つ市松の生きる目的も、ある人物を追い求めることではありますが、同じように見えてそれと何と大きな違いがあることか。
 ヴォルゴの中に消えていくのも、一つの幸せ、安らぎの極致なのかもしれない。しかし、それに(結果的にかもしれませんが)背を向けて、汚濁の中を這いずりながら、けれども小さな小さな希望に瞳を輝かせて生きていく。それは素晴らしいことだと思うし、程度の差こそあれ、似たような生き方をしている世の人から見れば、大いに共感できるものです。
 もしかしたら絹は、無印・月光合わせたサムライガンの登場人物の中で、最も幸せなキャラクターなのかもしれません。


 牽強付会というか良かった探しというか、な感もありますが、読み返してみると、決して悲惨な、暗いだけの終わり方じゃなかったんじゃないかな、と思うのですよ、私ゃ。人生そうそう悪いことばかりじゃないですよ?

 少なくともイデオンのラストより遙かに納得できるな、と余計なことを書いてみる。


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