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2004.03.09

サロメ

 日記を書き損ねてましたが、7日に新国立劇場でオペラ「サロメ」を観てきました。当方、オペラについては知識がからっきしで、これくらいの場で行われるものであれば、それは歌や音楽は見事に決まっているだろうと、個人的にはむしろ「なぜ、サロメなのか?(サロメを戯曲化したのか、何故今上演するのか)」という点に注目していました。

 サロメと言えば、やはりヨハネ(ヨカナーン)の生首に口づけするというイメージが鮮烈で、頭の中では妖女・毒婦の代名詞のような印象があったのですが、このオペラで描かれるサロメは、むしろ純粋で、いかにも思春期(設定年齢たしか16歳)の少女、という印象を受けました。そのサロメが、利己的で、欲望まみれな周囲の大人たち(義理の父は娘に色目を使うゲス野郎で母はド淫乱、王の周囲の者たちは文字通りの神学論争に明け暮れてる)の中で強い孤独を感じ、そんな人間たちとは違う存在と感じられたヨカナーンからは、手厳しく拒絶された時――何かが壊れたか、父王の前で妖艶な踊りを舞い、その褒美としてヨカナーンの首を所望することになる。そんなサロメの姿は、むしろ悲劇のヒロインで、ラスト、物言わぬヨカナーンの生首に切々と語りかける様は、強い哀しみと切なさを感じさせてくれました。
 冷静に考えてみれば、サロメのエピソードは有名であるし、舞いのシーンはあるし、舞台で演じるにはむしろ適した題材なのかもしれません。しかしこのオスカー・ワイルドの手になる「サロメ」からは、サロメの姿に女の業と、純粋であるが故に壊れていく若い心の悲しさが感じとられて、それは現代にも――いかなる時代にも――通じるものであるのだな、それだからこそ、今に至るまで演じ続けられているのでないかな、という感想を抱きました。と、聞いたような口をきいてみる。
(まあ、最近、物語(特に古典)は何故語られ続けるのか、という点に興味を持っている人間なので、変な感想でも勘弁して下さい)


 まあ、照れ隠しにベタなツッコミをすると、周囲から心配されるほどやつれているサロメを、すばらしく豊満な(婉曲的な表現)方が演じているのはどうよ、ってな感じでした。もちろんそこは目をつぶるのがお約束、なのでしょうが、舞いのシーンはちょっとツラかったわよねえ、というのが、一緒に行った面子の共通した認識であったことですよ?

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