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2004.04.06

夜桜能

 今日は会社を早退して、靖国神社の夜桜能へ(シフト勤務なので、定時だと間に合わないのですよ)。狙いすましたような寒さに震えつつも、ぬかりなく鞄に忍ばせた膝掛けに相方と二人くるまって見ました。
 今日の演目は「桜川」。人買いに買われた我が子を探す母親が、常陸の桜川のほとり、満開の桜の下で子供と再会するという内容は、まさに今日の桜の下で見るにはうってつけの内容。途中、母親が桜の下で舞いながら口ずさむ内容には、古今の桜にまつわる歌が多く盛り込まれていて、もう少しその辺りの知識があればもっと楽しめたのに、というのが残念。
 最初、「川」「人買い」「母親」というキーワードだけ見て、「隅田川」を連想しましたが(何年か前に同じこの場で「隅田川」を見たこともあり)、母子の情よりもむしろ母親の舞いがこの演目の主題に感じられ、似たような設定でもだいぶ印象は違いました(結末が正反対というのもありますが)。

 それにしても能を見るといつも、舞台と物理的なそれ以上の距離感――それも決して不愉快でも疎外感を感じさせるものでもなく――を感じます。何というか、伝奇オタらしく言えば、そこだけぽっかりと切り取られたように現世と隔絶しているかのような。他の古典芸能と違い、能の魅力というものを言葉で言い表すのは、私にはまだ難しいのですが、この奇妙な感覚は他の芸術芸能では味わえないもののように感じられ、その辺りに自分は魅力を感じているようにも思えます。


 それはさておき、人買いに買われた子供が坊さんに連れられている、という設定を見て、「…そういうことか」とヤな納得をしてしまうのはいかがなものか。…連れも全く同じことを思っていたそうで安心しましたが<するな

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