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2005.12.22

「鬼の橋」 孤独と悩みの橋の向こうに


 小野篁の少年時代を描いた児童文学の良作。先日紹介した「読んで悔いなし!平成時代小説」で採り上げられているのを見て気になっていたのですが、なるほど、大人が読んでも(大人が読むほど?)面白い佳品でありました。
 小野篁といえば、六道珍皇寺から冥界に下り、昼は帝、夜は閻魔に仕えたという不可思議な伝説を持つ人物ですが、この作品で描かれる篁は、元服――即ち大人の仲間入り――を間近に控えた不安定な年頃の、ごくごく普通の少年として描かれます。そう、この作品はファンタジーの姿を借りた、小野篁という少年の成長物語なのです。

 自分の不注意がもとで、妹が六道珍皇寺の井戸に落ちて死んでしまったことを悔やみ続ける篁は、その井戸から冥府に続く橋に迷い込みます。そこで鬼に襲われた彼を救ったのは、死してなお、都の人々を護るさだめを負わされた大将軍・坂上田村麻呂。からくも現世に戻った篁は、ある日、非天丸という人間離れした大男に出会いますが、人間離れしたのも道理、彼はあまりの非道故に田村麻呂将軍に角を折られた鬼でありました。
 篁、非天丸、そして父が工事人足をしていた橋を守ることに執着する少女・阿子那の三人が、この物語のメインキャラクターとなります。

 この三人に共通するのは、それそれ大きな孤独と悩みを抱えているということ。篁は、妹の死に対する罪悪感と、元服を間近に控えた不安感を抱え、阿子那は親と死別し、天涯孤独の身の上。そして非天丸は、鬼にも戻れず人にもなれず、それでも襲い来る人食いの欲求を必死に耐えることになります。
 いや、孤独と悩みを抱えるのはこの三人には限りません。例えば、鬼も敵わぬ坂上田村麻呂からして、現世の肉体を失いながらも、なお冥府に行くことが敵わず、ただ現世と冥府の境を守り続ける定めを負わされた存在。例えかつての友人が亡くなり、冥府に行くことになっても、自身は友の背中を見送ることしかできないのです。
 この作品は、そんな孤独と悩みを抱えた者たちが、傷つきながらも寄り添い、お互いの隙間を埋めていく物語と言えるかもしれません。

 が、その一方で、単に寄り添って孤独から逃れるだけでなく、寄り添うことで自分以外の他者の存在を知り、尊重することによって心の強さを手に入れていく様が、しみじみと、味わい深く描かれているのが本書。
 一時は己の生に倦み疲れ、生命を投げ出そうとすらした篁が、阿子那や非天丸と触れ合ううちに、自分の中の小さな勇気と、自分なりにできることを見つけ、自分の生きる意味を見出していく姿には、素直に声援を送りたくなります。
 そしてラスト近く、篁が反目していた父に告げたある選択…それは決して派手なものでも英雄的なものでもない、人間がごく普通に生きているうちにぶつかるようなものではあるのですが、しかしそれだけに大きな一歩であり、篁が子供から大人への橋を渡ったことを示す、実に感動的なシーンでありました(油断してたら涙腺がだいぶ緩みましたよ)。

 篁と同年代の、思春期の子供(…というには少し抵抗あるな)はもちろんのこと、その年代なりの孤独感や悩みを抱えた大人の方々が読んでも間違いなく感動できる、良作と言えましょう。


「鬼の橋」(伊藤遊 福音館書店) Amazon bk1

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