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2006.01.21

「修羅の刻 陸奥圓明流外伝」第15巻 戦いの中のその生き様


 昨年三ヶ月にわたって集中連載された「修羅の刻」「雷電編」が単行本化されました。表紙だけ見ると一体どこの萌えコミックかと思いますが、しかし内容は実に骨太の人間ドラマ。私は雑誌掲載時に全て読みましたが、まとめて読んでみると、これがやはり、改めて実に良い作品だな、と思った次第。

 これは漫画に限らず、現実世界でもそうですが、格闘技の世界というのは、ただ単に強いヤツ、巧いヤツが戦えば名勝負になるかと言えば、必ずしもそうではない、というのが実際のところ。どれだけ強かろうが巧かろうが、戦いの中に感情…というよりも(気障な言い方ですが)自分の生き様・信念・想いetc.を見せられない人間は、名勝負を生み出すことは、人々の心の中に残ることはできないのではないか、と思います。

 そういった観点からすると、本作の雷電は、間違いなく戦いの中に自分の生き様や想いを見せつけた男。
 終盤で初めて語られる雷電の戦う理由は、既に雑誌掲載時に読んで知っていてもなお衝撃的ですし、そして雷電の人生最後の死闘の有様からは、雷電の切なくも壮絶な想いが強く伝わってくることです。
 もっとも、その雷電の相手である陸奥兵衛は、正直キャラ的には薄いのですが…この戦いの相手は――本人が言っているように――雷電の死闘を見守る葉月であることには、心情的には大いに納得できるので問題なし。

 「修羅の刻」のシリーズ中、個人的に、時代アクションとして一番好きなのは「寛永御前試合編」であることは今なお変わらないのですが、ドラマとして一番好きなのは、と聞かれたら、間違いなくこの「雷電編」と答えます。
 漫画ファン、格闘技ファンのみならず、普段漫画は読まないよ、という時代ものファンの方にも、ぜひ読んでいただきたい作品であります。


 と、最後に蛇足と野暮を承知で兵衛の父について。作者は賢明にも明言していませんが、私個人としてはやはり…と思っているところ。共に己を超える強さを持つ者を求めつつも、遂に果たせなかった二人が結びつき、兵衛が誕生するというのは、ドラマ的――という表現が適切かはわかりませんが――に納得できるものがあります。
 もちろんそれは、客観的に見れば悲劇であり、またおぞましさすら感じさせるものがあるかもしれませんが、当人たちにとってみれば、それはそれで一つの幸福な結びつきであったのではないかな、と感じた次第。もちろん、勝手な思いこみ前提ですが…


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