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2006.04.19

「絵巻水滸伝」第1巻 日本水滸伝一方の極、刊行開始

 正子公也&森下翠の「絵巻水滸伝」がついに単行本として刊行開始されました。
 ついに、と書いたのは他でもない、私が、もともとweb連載だった本作の大大大ファンであって、毎月一回の更新を楽しみにしていたからにほかなりません。あの名作が、本になってやってくる、本として手に取ることができるというだけで、ファンとしては否応なしに胸が躍るのです。

 三国志の陰に隠れて、表にはなかなか現れませんが、実は日本はかなりの水滸伝大国。再販も含めれば(名前だけ借りたものを除いても)毎年毎年なにがしかの形で「水滸伝」が生み出されているお国柄なのです(現に、本作の他、先月は私の知るだけで4冊水滸伝関連書籍が出版されています)。
 その、日本産水滸伝数ある中で、一方の極を北方謙三の「水滸伝」とすれば、間違いなくもう一方の極は本作。北方版が、水滸伝という物語のエッセンスを汲み取りつつ、どこまでも「リアルな」世界を再構築していったのに対し、本作は、水滸伝という物語のキャラクター・シチュエーションを可能な限り尊重しつつ、ファンならば原典に当たる時必ずや疑問に思い、もどかしく感じた点の一つ一つに、納得のいく解をもって答えていくスタイルを取っています。
 こうしたスタイルは、ややもすれば書き手の独りよがりになりかねないものではありますが、本作に関してはその心配はご無用と言っておきます。古典物語が、現代の読者に応えてその装いを変えていくことには賛否があるかと思いますが、それが真にその物語を愛し、かつその物語のパワーを真っ向から受け止めるだけの力量を持つ者の手によってなされるのであれば、問題はありますまい。

 おそらくは日本一、いや世界でも指折りの水滸伝絵師・正子公也と、彼と長い間コンビを組んでその世界を文章でもって描きあげてきた森下翠のコンビによる本作は、大げさに言ってしまえば、誰もが知っている、そして誰もが知らない水滸伝。水滸伝ファンであれば、必ず手にするべき書物と言っても過言ではありません(褒めすぎ? いや、まだまだ褒めたらないですよ)

 なお、この第一巻「伏魔降臨」に収録されているのは、一百八の魔星の封印が解かれる序章から、九紋竜史進、花和尚魯智深の物語を経て、豹子頭林冲が梁山泊に向かう件まで。web連載時に比べ、相当文章・イラストとも手が入っている様子なので、web連載時に読んだ方でも、十分以上に楽しめるかと思います。何より、モニタの画面を見るのと、本として己の手の中にあるものを見るのでは、やはり感覚として全く別なものがありますしね。

 最後に一つだけ不満を述べれば、全十巻を予定されている本作が、原作の第七十回、すなわち一百八人の豪傑勢揃いのところまでで完、となっているところ。その後の部分の物語に向けた伏線も色々とあったのに(この第一巻でも、あるキャラクターの子供時代が登場して、ファンならば思わずニヤリとさせられること請け合い)…とちょっとショックでしたが、公式サイトによれば「第一期」全十巻ということなので、気が早い話ではありますが、その先の物語にも期待している次第です。


 …そういえば、巻頭口絵に書かれている三人の豪傑の渾名の英語名、"Nine Dragoned"や"The Tattooed Monk"はいいとして、"Leopard the Great"はさすがにどうかと思った。いや、格好良いっちゃいいんですが。


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