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2006.04.09

「怪~ayakashi~ 四谷怪談」 拡散する物語の魔


 ビデオに撮り溜めておいた「怪~ayakashi~ 四谷怪談」全四話をようやく見ることができました。四谷怪談といえば、日本人であれば怪談に興味がない人間でも知らぬ者はないであろう(そしてその割に全貌を知っている人は少ない)怪談。その四谷怪談を深夜アニメで、しかも脚本は小中千昭氏ということで、期待半分心配半分で見たのですが、これがなかなか面白かった。

 本作は、原作「東海道四谷怪談」の作者である四世鶴屋南北が、四谷怪談の物語を語っていくという趣向。最終話の前半まで、かなり原作に忠実に四谷怪談の世界が語られていくのですが、絵はキャラクター原案の天野喜孝の妖しくも恐ろしいビジュアルをうまくアレンジしておりましたし(最終話でかなり作画が崩壊したのが残念ではありましたが)、声優陣も渋い芸達者揃い、何よりも時にじわりじわりと、時に一気呵成に、恐怖を描き出していく脚本と演出がなかなか良くできており、これァ深夜にリアルタイムで見ていたらかなり恐ろしかったろうな、と素直に感心いたしました。
 個人的には、直截的な超自然現象の恐怖よりも、第三話のように人の心が生み出す地獄模様が非常に恐ろしく、心に響いたのですが、これはそれだけこの作品の描写が成功していたということではないかと思います。

 が、さすがは小中千昭。冒頭で心配半分と書いたのは、実にここしばらくの(もしかしたらずっと変わらずかもしれませんが)小中作品が、自分の趣味に走りすぎて時に暴走気味になるところがあったためなのですが、本作でもその期待(?)に応えてくれました。
 先に「最終話の前半まで」と書きましたが、四谷怪談の物語はここまでで語り終えられ、残る部分では、四谷怪談という物語が生み出した怪奇(四谷怪談上演前にお岩様にお参りしないと怪我をする等の曰く因縁話など)が、南北により語られていきます。
 つまり、それまではあくまでも「四谷怪談」という物語の中の怪奇が描かれていたものが、ここに至って物語の外を浸食していくという、一種「うつる怪談」へと物語は変容。しかも、南北の口からは、明確にこの物語が――実在の人物と事件をモデルにしながらも――あくまでもフィクションであることが語られるにもかかわらず、フィクションの中の魔が現実を浸食していく様が淡々と描かれていくのです。
 そして、単なる演出と思われた、南北が四谷怪談を語るというスタイルが、実は南北自身は己が故人であることを自覚しつつ現代にその姿を現し、TVの向こう側の我々に語りかけている形式であったと明かされるに至って、一つの物語が、それを望む我々の存在により再生産され、拡散していくという構図(これ、つい最近も「ウルトラマンマックス」で小中氏がやってましたな)が描き出されて物語は終わりを告げます。

 さすがにラストのこの展開は、ホラーファン以外の堅気の衆にはキツいんではないかな、またやっちゃったかな、と思いつつ、しかし私個人としてはかなり満足できたのも事実。
 「うつる怪談」というのは、「リング」などのフィクションを問わず、「かしまさん」やいわゆる自己責任系の実話怪談を問わず、ホラー・怪談の世界ではかなりポピュラーなものではありますが、あの「東海道四谷怪談」もまた、その系譜に連なる――というよりその嚆矢とも言うべき存在であった、という視点は実に刺激的であり、そしてまた作者が物語の魔に取り込まれるというメタなホラー展開を、よりにもよってこの「東海道四谷怪談」でやってのけるという小中氏の心意気にしびれたとでも申しましょうか。

 お馴染みの物語を丹念に語りつつも、そこに全く別の色彩を付与してみせるその手腕――やはり何だかんだ言いつつも、小中氏が優れたモノ書きであることを再認識させられた次第です。

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