「天下騒乱 鍵屋ノ辻」 人物配置の妙が光る仇討ち物語
日本三大敵討の一つとして名高い荒木又右衛門の鍵屋の辻の仇討ちを題材に、池宮彰一郎先生が独自の観点で描いた大作。
鍵屋の辻の仇討ちを、単なる個人対個人の遺恨・争闘の物語に終わらせず、より大きな江戸時代の社会全体に関わる事件として描き、また、又右衛門の戦いを、武術対武術に止まらず、情報戦・謀略戦の域にまで高め、一つの「戦(いくさ)」として描いている辺り、この作品の独自性がうかがえます。
…まあ、「それ何て「四十七人の刺客」?」という気もしますが、あちらと異なるのは、この又右衛門の戦いの結果如何に、天下が再び騒乱の巷と化すか否かがかかっている点と、騒乱を抑えるためにあえて己を「悪」として戦いをプロデュースする存在――土井大炊守がいること。
単なる一家中の刃傷沙汰に過ぎなかったはずの事件が、揉めに揉めた末に天下の耳目を集めるほどの騒動となったのは、徳川家の下風に立つとはいえ万石取りの大名と、石高で劣るとはいえ徳川直参の誇りを持つ旗本と――その両者の対立構造の中に、ぴたりとはまりこんでしまったがため(あ、もしかして又右衛門の三十六人斬りが喧伝されて、この事件が単なる剣豪譚になってしまったのはその辺りから目を逸らすためだったりして…って、最近変な本の読み過ぎですな)。
この視点から鍵屋の辻の仇討ちを描くのは、この作品が初めてというわけではありませんが、その対立が、ようやく安定したばかりの徳川幕府を覆しかねない、すなわち天下騒乱の火種として捉え、その巨大なうねりに立ち向かう者として――それも立ち位置がマクロなレベルとミクロなレベルのそれぞれの代表として――土井大炊守と荒木又右衛門を配してみせたのは、まさに池宮先生の見事な業、と申せましょうか。
つまり、争闘の当事者たる又右衛門だけでなく、政治の大所高所からこの事件を俯瞰する土井大炊守の存在により、この事件が天下騒乱を招きかねぬ大事である、ということを存分に描き出すことに成功していると感じた次第。
個人的には、荒木又右衛門の絵に描いたような(美化された)武士っぷり以上に、土井大炊守の「正しさ」(己が「悪」を為していることを本人が先に認めてしまっているだけに一層たちが悪い)に馴染めないものを感じるのですが、それは単に私がひねた小人だから、なのでありましょう。
(しかしこの「正しさ」感、隆慶一郎先生の作品にも通じるものがあるのですが、戦前生まれの方特有のものなのかしらん)
ちなみに本作、今年の正月時代劇としてTVドラマ化されましたが(私の感想はこちら)、原作ではチョイ役だった柳生十兵衛を主役の一人にフィーチャーして、大分アレンジがほどこされておりましたが、これはこれで正しいアレンジではないかとも思います。
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