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2006.06.26

「影を踏まれた女」 郷愁と死の影の物語

 光文社文庫で以前に発売されていた岡本綺堂の怪談集が、先月から新装版で刊行開始されました。その第一弾がこの「影を踏まれた女」ですが、綺堂怪談の精華とも言うべき「青蛙堂鬼談」全十二話と、「近代異妖編」から表題作を含む三話が収録されています。
 文庫で読める綺堂の怪談集としては、これまでちくま文庫から発売されていたものがありましたが、(一冊辺りの収録作こそ少ないものの)より手軽に読むことのできる光文社文庫版が復刊を遂げたのは、綺堂ファン・怪談ファンにとって、まずめでたいことです。

 全く個人的な話になりますが、表題作の「影を踏まれた女」は、私が初めてきちんと読んだ綺堂怪談であります(もっとも、光文社ではなく旺文社文庫版でですが)。つまり本作がつまらなければ以後綺堂作品に手を触れないことだってあり得たわけですが、結果としてみれば、極めて幸せな出会いであったと今でも思います。

 月夜に遊ぶ子供たちに影を踏まれたのが元で、影を踏まれることを異常に恐れるようになった少女の運命を描く本作は、因果因縁から解放されたことによる超時代性と、それと密接に結びついたリアルな恐怖感、そしてそれを包み込むように点描される失われた江戸の情緒という点で、綺堂怪談のお手本のような作品なのですが、本作の魅力には、綺堂の筆の冴えに加えて、題材選びの見事さがあるかと思います。
 
 本作の題材――影踏みは、実に他愛のない、ゲームというより一種じゃれ合いに近いものがあるようにも思える遊びであって、私が子供の頃にももちろん何度も遊んだ覚えがあります。…ただし日の光の下で、ですが。
 本作で怪異を招くきっかけとなるのは、影踏みは影踏みでも、月夜の影踏み。なるほど、明るい月の下であれば、影を踏むのは十分に可能でありましょうが、しかし考えてみれば、闇の中に照らし出された互いの影を追うというのは、何だか非現実的で、そしてどこかまがまがしいものが感じられる姿であります。

 太陽が陽であり、昼が生の世界であれば、月は陰であり、夜は死の世界。そんな中で古来より人の生命の顕れの一つとされる影を追うというのは、実に象徴的な姿であり、誰でも遊んだことのあるような影踏みという、どこかノスタルジックな世界の中に、濃厚な死の影を配置するという綺堂のセンスに、なにやらひどく心惹かれるものがあるのです。

 と、ネットで影踏み(鬼)のことを調べていて、影踏み鬼を詠んだ短歌を二首、見つけました。どちらも本作に――影踏みという遊びに――漂う空気をよく表しているように思えますので、ここに引用させていただき、本稿の結びとしたいと思います。

 月夜だし都忘れが咲いてるし影踏み鬼がまだ終はれない  紅月みゆき

 踏まれたる実感もなく鬼となる影踏み鬼を不意に怖れぬ   藤田美智子


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