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2006.09.22

満身創痍で柳生宗矩観の変遷を考えてみたメモ

 mixiの方で某氏から「柳生宗矩に黒いイメージがつきまとうようになったのはいつからなのか?」という疑問が提示されているのですが、これは「霧隠才蔵はいつからクールな美形になったのか」と並んで個人的にも大きな疑問だったもの。良い機会なので、これまであれこれと考えたりしたものをざっと挙げてみます。
 あくまでもまだまだメモ程度のものであり、材料も大いに不足しておりますので、あらかじめそのつもりでご覧くださいますよう…いや本当に穴だらけでごめんなさい。

1.史実
 「日本武術神妙記」等に引用されているような当時の随筆・武芸譚等をざっと見ましたが、特段の黒さは感じず。尤も、剣術や武術にまつわる逸話ばかりなので、「黒さ」はそもそも描かれにくいのかもしれません(一手指南と言ってきた相手にに飼ってた猿と試合させたり、煙草吸いすぎと言われたら長い長い煙管作って隣の部屋で煙出るようにしたり、能が超好きで周囲に進めまくってあんまり迷惑かけんなって沢庵に説教されたり、色々楽しいエピソードはあるのですが)。
 しかし、「剣禅一如」や「活人剣」など、「カッコイイ」言葉と、剣術指南役から大目付・大名までなったことに示されるような政治的な手腕にも優れていたことから、一種うさんくさい印象を感じている人も少なくはなかったのではないかな、という印象も個人的にはあります。

2.戦前
 個人的には一番手薄な時代なので何ともいい難く、お恥ずかしい限りなのですが、講談等でどう描かれているのかが気になります(「柳生三代記」くらいチェックせい、と思う)。個人的な、限定的な印象では、十兵衛や宗冬の厳父という印象が、彼ら息子たちの活躍譚の中で描かれていたのかなと思うのですがどうなんでしょう。

3.「柳生武芸帳」(1956)の宗矩
 こうして見てくると、「黒い」というより「陰謀家」としての宗矩を前面に、はっきりと打ち出してきたというのは、もしかするとメジャー作品では「柳生武芸帳」が初めてなのでは、という印象がやはりあります。陰謀家、という単純な言葉で評するのがためらわれるほど本作の宗矩像は複雑かつ印象的であって、今の一般的な(?)宗矩像を形作る源流の一つ、というのは間違いないと思います。

4.「柳生一族の陰謀」(1978)の宗矩
 3.からだいぶ間が空いてしまって恐縮ですが、少なくとも映像の面で「陰謀家」宗矩を描いた(=印象を決定づけた)のはやはりこの「柳生一族の陰謀」なのかな、と思います。この作品での宗矩の――というより萬屋錦之助のと言うべきかもしれませんが――存在感・インパクトはやはり絶大で、「宗矩=陰謀家」という印象を世間に与えたのはこの辺りなのかしら、という気がしないでもありません。

 …とはいえ、「武芸帳」も「陰謀」も、ここで描かれる宗矩は(その対象が天皇であれ将軍であれ)忠誠心のあまり陰謀に手を染めるという側面が非常に強く、「黒い」というのとは少々異なるのかな、という印象があります。

5.「影武者徳川家康」(1986)の宗矩
 そうなると次に頭に浮かぶのは隆慶先生の「影武者徳川家康」。こいつぁ文句なしに「黒い」。柳生家の方々に訴えられるのではないかと思うくらいダメで悪い(それだけに一部のファンにはたまらない)宗矩像がここにあります。尤も、彼が仕えている秀忠がこれまたどうしようもない悪人でクソ野郎に描かれているので、その煽りを食って、という気はしますが、個人的な印象としては、本作(そしてそれ以降)の秀忠・宗矩は、ロクに戦場で戦ったことのないくせにのさばっているという、隆慶先生の「戦後派批判(というか憎悪)」の象徴とも言える存在なのでしょう。


 と、まとまっているようで実は全くまとまっていない、スッカスカの宗矩像の変遷でしたが、とりあえず「五味先生超リスペクトで隆慶先生に複雑な感情を持つであろう荒山先生が、これで善人宗矩を書くわけないだろ」ということだけは言えるような気がしてきましたよ。

 というネタは置いておくとして、真面目な話、現在の(伝奇)時代劇界における五味康祐と隆慶一郎の存在感の大きさを考えれば、小説をはじめとする様々なメディアで宗矩が程度の差こそあれ、黒く描かれるのも無理はない話なのかな、という印象は受けました。もちろん、そこに至るまでの様々な積み重ねがあってのことであることは、言うまでもありませんが…

 最後に、私が個人的に最近の作品で好きな宗矩を挙げるとすれば、それは朝松健先生の真田三部作の宗矩であります。物語中の立ち位置としては(登場人物の多い本作では)むしろ脇役に近いのですが、「老練」という語を体現したかのような人物で、重厚かつしたたかに存在感をアピール。特に二作目・三作目のラストは、実質この方が締めたかのような印象があります。
 ふむ、そういえば一般的宗矩イメージの中には「陰謀家」「黒い」というほかに「現実的」という属性もあるのだな、と気づいたところで、精神的に満身創痍になりながら本稿とりあえずおしまい。

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コメント

 お疲れ様でアリマス。
三田さんから見て頂いても、
メジャー作品での(広義の)黒宗矩は
柳生武芸帳が初っぽいというとこなのですか。

 そうなると、キャライメージというものは、
やはり強烈なインパクトこそが第一であり、
事実や時代の積み重ねなんてのは
まさに格言に言う「勇次郎の前の末堂」
なのかしらん、と思ったり。

 映像作品はビジュアルイメージの威力があるので
更に倍で砂ですしのう。
萬屋錦之助おそるべし。

 とりあえず、当方としましては、
今後の新たなる宗矩に関心を払っていきたく思う所存。
ちなみに、今まで当方が見た中で、
一番微妙な印象を抱かせた宗矩は以下参照。

http://www.visco.co.jp/prdc/vasara/en_07.html

 あと、柳生武芸帳も下巻まで読み進んだのですが、
荒山先生の「実は朝鮮人だった」メソッドは
五味先生の「実は忍者だった」メソッドリスペクト
なんじゃないのかと思う今日この頃。

 あの世から五味先生が

「貴様のいる位置は、
 私が数十年前に通過した場所だッッ!!」

 とか吼えてる情景が幻視できる心持でアリマス。

投稿: 神無月久音 | 2006.09.22 20:41

いやはや、まだまだ材料もきちんと集まらない状態でお恥ずかしい限りです。

色々と見てみると、宗矩単体ではあまりすっきりしないで、むしろ「柳生一族」観の推移で見るべきなのかなあという気もしてきました。
(この場合、「子連れ狼」の存在は大きいような気がします)

そーいや五味先生の十兵衛は、隠密というよりか本当に忍者でしたね。
「実は○○」というのは伝奇ものの定番ではありますが、確かに五味先生の「実は忍者だった」はある意味エポックメイキング…かどうかはまた調べないといかんですかw

あと、個人的に最近のダメ宗矩としてはこの辺を挙げておきます。誰だお前。
http://www3.capcom.co.jp/shin_onimusha/character/munenori.html

投稿: 三田主水 | 2006.09.23 02:53

愉しそうですねmixi。
どうも閉鎖空間は入ったきり出て来れなくなりそうで。

さて宗矩の端で死ですが、最初に意識したのは確か劇場版「魔界転生」だったでしょうか。
もちろん最初のヤツです。
ジュリーのあのシーンが衝撃的で、
じゃなくて、
若山さんの殺陣がすごく格好良かったのを覚えています。

投稿: 冬至楼均 | 2006.09.23 19:33

細谷正充氏から、「「柳生武芸帳」から、という認識は間違っていないが、やはり「子連れ狼」を落としてはいけない」とのご指摘をいただきました。うむ、やはりそうですか。
ちなみに「子連れ狼」は、時代的には本文3.と4.の間に入ります。

冬至楼均様:
mixiは、どこでどなたに会うかわからないのでドキドキします。表とは違う名前で出入りしている方も多いので…それだけ色々な方と知り合える場でもありますが。

深作版「魔界転生」の若山宗矩は、あれは凄かったですね! ラストの千葉十兵衛との死闘はいまだに印象に残っています。

投稿: 三田主水 | 2006.09.24 20:38

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