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2006.10.09

「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く

 「絵巻水滸伝」の第三巻が発売されました。この巻では、全体の三分の一程度が後の梁山泊首領・宋江がお尋ね者になるくだり、そして続く部分が、水滸伝でも特に人気の高い豪傑・行者武松を主役としたいわゆる武十回のエピソード、という構成になっています。

 実は、百八人の好漢の中でも、武松は個人的に好きなキャラクターの一人。泥酔した猛虎と死闘を繰り広げる愛すべき豪傑らしさ、最愛の兄を殺害され計画的に復讐を遂げる冷静さ、そして鴛鴦楼で老若男女区別なしに鏖殺してのける暴走ぶり…同一人とは思えないほど多面的なキャラクターであるのは、これは複数の説話の集合体である水滸伝ならではですが、それは置いておいても、色々な意味で非常に人間くさい言動は、実に魅力的です。

 さて、本書における武松は、その他面性を――元々の魅力を失わない程度に――巧みに丸めつつ、己の中に、形容しがたい「荒ぶるもの」を持ち、それがゆえに苦しみ、悩み、流浪する男として、一本筋を通して描いているのが目を引きます。
 心にやり場のない強く激しい渇望を抱えつつも、宋江というとてつもなく懐の広い――というよりむしろ果てしなく茫洋とした――存在と出会うことにより、一度はその荒ぶる心を抑えた武松。しかし虎殺しの英雄として名を挙げた彼が、嫂である潘金蓮と出会ってしまったことから、彼の、そしてその周囲の運命が少しずつ狂っていくことになります。

 潘金蓮といえば、原典及び「金瓶梅」において希代の悪女として描かれておりますが、本書においては基本的な設定は変えず、一風変わった角度からのアプローチがなされています。
 幼い頃に纏足され、長じて後は富豪の小間使いとなるも主人に迫られ、それをはねのけたことで醜男の武大の嫁にさせられた彼女は、いわば男たちの一方的な愛情・欲望に翻弄される存在。そんな運命の中で駕籠の中の鳥の如く空しい日々を送っていた彼女にとって、武松は己を解放してくれる可能性をもった唯一の男であったといえるでしょう。
 潘金蓮の空虚な心を解放してくれるかもしれなかった武松ですが、同時に潘金蓮は武松の心の荒ぶるものを鎮めてくれるかもしれなかった女性であり――しかし、「好漢」たる武松が彼女の心に応えられようはずもなく、そのすれ違いが後に大きな悲劇を呼ぶこととなります。
(このあたり、北方謙三の「水滸伝」とどこが同じでどこが異なるのか、比べてみるとなかなか面白いものがあります)

 そして、自分にとってファム・ファタールというべき潘金蓮をその手にかけてしまったことにより、更に抱くものを大きくしてしまった武松の心が遂に弾け飛んだのが、鴛鴦楼の大虐殺なのでしょう。
 そのような武松の行動は、もちろん「水滸伝」という物語世界ならではの極端なものではありますが、しかし、その根幹にあるのは、自分は何者なのか、自分は何を為すために生まれてきたのか…という、誰もが一度ならず抱く根元的疑問であります。
 それゆえに、本書における彼の存在は、原典とはまた異なった形ではありますが、非常に人間的で共感できるものであり、そしてまた魅力的に感じられるのです。

 原典のシチュエーションをほぼ忠実に活かしつつも、そこに巧みなプラスアルファを加えていくことにより、現代日本の読者が読んでも違和感なく受け入れられるようにキャラクターたちを描いていくのが、この「絵巻水滸伝」のスタイルであり魅力の一つですが、それが最もよく働いたのが、本書の武松にまつわるエピソードであることは間違いないでしょう。

 なお、「絵巻水滸伝」のもう一つの魅力である正子公也氏による挿し絵ですが、もちろん本書でもそれは健在。特に、沈む夕日を背に、打ち倒した猛虎を頭上に掲げて凱歌をあげるシーンの勇壮さは、強く心に残りました(基本的に本書の表紙のバリエーションではあるのですが、背景等を変えるだけでこれほど印象が変わるものかと大いに感心いたしました)。


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