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2006.11.30

「水鏡」 秘剣が映す剣流の発展史

 様々な時代、様々な場所の剣士・武芸者の生き様と、彼らの振るう剣を活写した戸部新十郎先生の秘剣シリーズですが、その中で私が一番好きなのが、この「水鏡」であります。
 登場する剣の特異さ、伝奇性と、クライマックスで振るわれる秘剣の鮮やかさが印象的な作品ですが、それ以上に、この作品には、剣術が、剣法となり、そして剣道となるという、剣流の発展の歴史が凝縮されて描かれているように思えるのです。

 タイトルとなっている「水鏡」とは、実在の剣豪・草深甚十郎が使ったとされる秘剣の名。そして作中でこの深甚流の技を継ぐのは三者――一つは、正当な剣として技を継承、発展されてきた一派。また一つは、「水鏡」の剣の魔性に走り、妖術同様の邪道に堕ちた一派。そして最後の一つは、野に下り、一種の芸能のような形で古流の技をつなぐ一派。
 そのうち、正道の剣を志す一派の剣士が加賀藩主の御前での演武を命じられたことから、三派の剣士が動き出し、最後に奇怪な決闘を迎えることとなります。

 と、ここで少し話を脇に逸らしますが、かつて(といっても最近ではなく、戦国時代の話)、剣術は妖術同様の扱い、すなわち奇怪で胡散臭く、正道ではない外連の技と見なされていたのは、意外と忘れ去られている話ではないでしょうか。かの剣聖・宮本武蔵ですら、「飯綱使い」と呼ばれたのですから。

 しかしながら――その剣術、一人の天才が生みだした特殊な術は、やがて体系化され普遍化された法、剣法となり、一般の(特殊でない)人々の間に普及していくことになります。そしてそれはやがて精神修養や己の高め方をも視野に入れた道、剣道へと変化していくのですが…つまり現代の我々が当たり前のように――たとい時代劇の中でも――感じている剣技剣流の在り方というのは、決して最初からああいった形だったのではなく、少しずつ洗練され、進化・深化してきたものと言えるかと思います。
(ちなみに塚原卜伝を剣法剣道の先駆者として描いた津本陽の「塚本卜伝十二番勝負」では、甚十郎は古怪な剣術を操る悪役として描かれるのですが、それは上記のような流れを踏まえてのことでしょう)。

 ここで「水鏡」の物語に目を戻せば、登場する三つの剣の流れが、必ずしも合一するものではないにせよ、ある程度上記の剣流進化史に重なってくることが見えてきます。甚十郎の剣が持っていた術の魔性に憑かれた者、甚十郎の理法を受け継ぎ、自分たちの間で伝えてきた者、そして古流を離れて満天下に胸を張れる正道として羽ばたこうとする者――この三者の姿は、剣の在り方が歴史を通じて不変ではなく、移ろい変化していくものということを示すと共に、その進化の歴史を集約したもののようにも思えるのです(その意味で、物語の端緒となる剣流を、妖術的色彩の強い草深甚十郎のものとしたのは見事な着眼点かと思います)。

 そしてラストに「水鏡」を継ぐ二つの流れが激突し、静かながら壮絶な結末を迎える一方で、正道へと向かった流れの者が、のどやかに当代の加賀藩主初のお国入りを言祝ぐ剣を披露するというのも、実に象徴的な結びであって、強く印象に残っています。


 もちろん私は剣豪小説を網羅しているわけではありませんが、このような形での剣の発展史を――潜在的にせよ顕在的にせよ――描いてみせた作品というのは、さほど多くないのではないかと思います。その意味でも本作は、貴重であり重要な作品ではないかと思うのです。


「水鏡」(戸部新十郎 徳間文庫「秘剣水鏡」所収) Amazon bk1

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