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2007.01.01

「剣聖一心斎」 剣の聖人に見る大人の姿

 若き日の勝小吉と男谷精一郎が出会ったおかしな侍・中村一心斎。異国に漂流してアメリカに渡ったという触れ込みの一心斎、今は定職にも就かず、武田信玄の埋蔵金を探しているという。一心斎に翻弄される小吉たちだが、しかしそんな一心斎の言動は、悩める人々を救い、導いていく。

 新年一本目は楽しい、元気が出るような作品を、というわけで、紹介いたしますは「剣聖一心斎」。不二浅間流の達人・中村一心斎先生の不思議で痛快な生きざまを描いた快作です。

 中村一心斎は江戸時代後期の実在の剣豪。時代小説で言えば、かの「大菩薩峠」冒頭の奉納試合で審判を務め、机龍之助と一触即発の状態になった方ですが、本作での一心斎は、剣聖という呼び名が到底馴染まないような、何というか、困ったオヤジ。
 定職も就かず、武田信玄の埋蔵金を探すと称して諸国を放浪しては、出会った人間から金をせびる、女の子のおシリを触る。舟で昼寝しているときに漂流して異国船に拾われ、アメリカに渡って「みすたあまっちい」なるあだ名をもらってきたという触れ込みの、何とも胡散臭い人物で…そのダメ人間っぷりたるや、あの、勝小吉が逆立ちしても及ばぬほどであります。

 が――この世間的に見るとダメ人間の一心斎が、とてつもなく魅力的なのです。一見支離滅裂で滅茶苦茶やっているように見えて、一心斎の言動は、振り返ってみれば皆悉く正鵠を射たもの。麻糸の如くもつれにもつれた状況を、一刀両断するが如く、解決してしまう――それも最も痛快なやり方で――一心斎の姿は、まさにヒーローであります。

 そして、そんな彼の姿に(いろんな意味で)胸躍らせるのは、読者ばかりではありません。一心斎に関わった者はほとんど皆、それぞれの形で何らかの救いを受けることとなります。
 説明するのが遅れましたが、本作のスタイルは連作短編集。それも一心斎の視点からではなく、千葉周作、勝小吉と男谷精一郎、高柳又四郎、遠山金四郎、斎藤弥九郎などなど、いずれも後世に名を残す人物たちの視点から、物語が描かれていくこととなります。
 生まれも境遇も全く異なる彼らですが、物語中で共通しているのは、皆将来進むべき道に迷い、屈託を抱えて生きていること。その彼らが、一心斎と出会い、一心斎に振り回されているうちに、いつの間にか己の行くべき道に気付き、新たな一歩を踏み出していくことになります。

 もちろん、それはあくまでも結果論で、一心斎は結局自分の好きなように振る舞っていて、全ては結果オーライの偶然かのようにも見えます。
 しかし、時折一心斎がフッと漏らす述懐や、時折見せる激しい行動から、彼が、実は人が人として大事にするべきもの――それは時と場合により様々あるわけですが、一言で言えば人の尊厳というべきものかもしれません――を、心中にしっかりとわきまえていることがわかります。
 人を正しき道に進むべく教え、導く者を聖人と呼ぶのであれば、その意味でまさしく一心斎は剣の聖人、剣聖と呼ぶに足る人物と言えるのでしょう。

 これを書くのはちょっと気恥ずかしいのですが、一心斎の姿を見ていると、「大人」というものについて考えさせられます。
 大人というのは、単に生まれてからの時間を重ねた者のことではなく、また、現実を所与のものとして諾諾と受け入れるだけの者でもなく――現実を現実として受け入れつつ、しかし己の理想をあきらめずに、自分自身の力を尽くして働きかけていく、そんな者のことなのでしょう。

 日々のあれこれでちょっと疲れたとき、元気をなくしたとき…僕はこの本を手に取ります。一心斎先生の破天荒な活躍を肩の力を抜いて楽しみつつ、一個の大人として、自分なりのやり方で現実に立ち向かう力が湧いてくる――これは、そんな作品です。


「剣聖一心斎」(高橋三千綱 文春文庫) Amazon

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