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2007.01.24

「哀斬の剣」 これぞチャンバラ、まさに大殺陣!

 好漢・辻風弥十郎と仲間たちの、許せぬ悪を仕留める裏稼業を描いてきたシリーズ第五巻は、最終回スペシャルと言うべき長編スタイル。仕掛けに失敗し、遂に正体を知られてしまった弥十郎が、次々と迫り来る討手・刺客群と江戸八百八町を舞台として大血闘を繰り広げます。

 前作「碧燕の剣」に収められたエピソード「学び舎は誰がために」で、弥十郎が斃した外道侍の父にして御手先組の強者・安野総右衛門が、息子を殺した者に復讐を誓い、傍若無人に犯人探しを始めたのが事の発端。あまりに非道なその所業に怒りを抱いた弥十郎は、ただ一人、総右衛門の屋敷に乗り込みますが、思わぬ反撃に遭い、やむなく逃走する羽目となります。
 しかし総右衛門の追求の手は緩まず、御手先組の剣士団が弥十郎の行方を執拗に追うことに。さらにそこに手柄の臭いを嗅ぎつけた北町奉行所の外道同心も加わって、八百八町に弥十郎の身の置きどころはない状態となります。一方、弥十郎がかつて所属していた――そしてその任務を厭って出奔したことによりこの物語の幕が開くこととなった――水戸藩お抱えの暗殺団も、裏切り者であり、藩の暗部の生き証人である弥十郎を討つため、暗躍を開始します。
 かくて、現在と過去からの、幾重にも及ぶ包囲網の中に囚われた弥十郎は、必殺の死地に陥ることとなりますが…

 しかし、これまでの弥十郎の死闘の数々が生み出してきたのは、冷たい死だけではありません。彼の活躍は、同時に暖かい想いもまた生み出して来ました。
 隣人として彼に親しんできた根津の人々。彼の戦いに命を救われ、無念を晴らしてもらった人々。一度は彼と対峙しながらも、やがて厚い交誼を結んだ者。そして何よりも、これまで幾多の戦いを共にしてきた田部伊織と留蔵爺さんというかけがえのない仲間…
 彼らが弥十郎のために直接戦ってくれるわけではなく、そして彼もそれを望みませんが、しかしその存在は何よりも大きな見えない力となって、彼を孤独と絶望から救うことになります。

 本シリーズは、いわゆる「必殺」ものであると同時に、暖かく熱い人の心、すなわち「人情」を描いてきた作品でありました。本作においては、シリーズ中でも最大の危機にあって、その両者が見事に結びつき、一つの巨大な力となって燃え上がった感があります。

 かくて、何にも勝る心強い味方を手に入れた弥十郎の反撃が開始されるのですが、上記の通り、敵はあまりにも強大であります。到底一度の勝負では倒すことのできない相手を前に、弥十郎が繰り広げるのは――江戸八百八町を股に掛けた文字通りのマラソンバトル。これがもう、素晴らしいの一言であります。
 本郷を皮切りに、江戸の町という町、道という道を、弥十郎が走る! 斬る! 吼える! この戦いだけで、普通の剣豪小説の何倍もの――単に分量だけでなくその質の点においても――チャンバラアクションが展開されることになります。一瞬たりとも目の離せない激斗に次ぐ激斗の連続は、シリーズのクライマックスにふさわしい、まさしく大殺陣!
 牧秀彦氏の時代小説については、単行本となっている分については全て読んでいる私ですが、本作についてはその中でも群を抜く完成度、現時点の最高傑作と断言いたします。

 そして死闘の果てに皆の前から姿を消した弥十郎。ある日ふらっと現れ、また消えてしまった弥十郎は、その名の通り一陣の辻風のような存在だったかもしれませんが、しかし、それに触れた者の心に小さな火を灯す、暖かい風でもありました。
 いまは何処を吹いているかはわかりませんが、しかし風は気まぐれ、またいつか彼を待つ人々――もちろん我々読者を含めた――の前に、ふらっと現れることもあるかもしれません。いまはただ、その日を楽しみにするばかりです。


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