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2007.01.18

「天狗童子 本朝奇談」 異界からの乱世への眼差し

 コロボックルシリーズで知られる児童文学者の佐藤さとる先生が、室町後期の混乱の時代を背景に天狗の世界を描いた本作、民話めいた長閑さの中にも確かな人物描写が光る、味わい深い作品となっています。

 舞台は室町時代の後期、上州否含山の山番で笛の名手の老人・与平のもとに、ある夜、大天狗とカラス天狗が現れたのが物語の始まり。このカラス天狗の九郎丸に笛を教えてやって欲しいという大天狗の依頼を引き受けた与平は、カラス天狗に天狗の力を与える「カラス蓑」をはがされて普通の少年の姿となった九郎丸と共に暮らすことになります。
 しかし共に暮らすうちに情が湧いた与平は、九郎がカラス天狗に戻らないようにカラス蓑を焼いてしまいますが、蓑は一部しか焼けず、九郎丸も怒らせてしまうのでした。かくて大山の大天狗の元でお裁きを受けることになった与平ですが、そこで大天狗から聞かされたのは、九郎丸の出生の秘密と、意外な依頼で…

 というのがおおまかなあらすじですが、とにかくユニークなのは、作中で物語られる天狗たちの社会・生態の描写。人間を遙かに超えた験力を持つ天狗ですが、その中には幾つもの階級やキャリアパス(?)があり、またその出自も、生まれながらの天狗から、人間が変じた者まで様々。さらに、大山天狗たちの、一種仙境と言える住処の描写も詳細で、何だか不思議なリアリティがあります。
 この辺りは、江戸時代等の天狗に攫われて帰ってきた人々の体験談をベースにしているのかなとも思いますが、それ以上に、コロボックルシリーズで描かれた、コロボックルの世界描写が、天狗世界を描く際の助けになったのではないかな、と想像しています。私は子供の頃にあのシリーズを読みましたが、本当に日常世界からちょっとだけ外れたところに、コロボックルの世界があるんじゃないか…と思わされたあの感覚が、本作にもあるように思えるのです。

 それはともかく、本作における日常世界・人間の世界はまさに戦乱の世。時期的には丁度、伊勢宗瑞(北条早雲)が相模攻めを行い、名門三浦氏と激しい戦いを繰り広げていた頃ですが、本作の後半においては、その史実が、意外な形で物語に絡んでくることとなります。
 もっとも、それで急に展開が派手になったりしないのがこの物語の味といったところ。血生臭い武士たちの争いの世界からは一定の距離を置いて、天狗と、そして与平爺さんのような一般人の目から、昔話めいたおだやかでのどかなタッチで、最後まで物語は展開していくことになります。

 しかし、そのようなタッチの物語、しかも児童文学だから大人が読んでつまらないかと言えば、全くそうではないのが本書の魅力。登場するキャラクターたちは、一人一人に――それが人外の天狗たちであっても――その時代に生きていた者としての一種の重み、リアリティというものが備わっており、特に主人公の一人である与平爺さんのキャラクターには、それまでの人生の積み重ねというものが、確かに透けて見えてきました。
 そして、そうしたキャラクターたちの、時代というもの、世相というものに対して向ける眼差しには、時としてハッとさせられるものがあり、本作を、単なる愉快で不思議なおとぎ話に留まらないものにしていると感じられますし、その意味で本作も優れて時代小説なのだと思う次第です。

 終盤については、些か駆け足となった感もありますが、そこは既に物語が天狗の世界から離れ、人間の世界の領域に入り、この物語で扱うべき範囲を超えたということなのでしょう。そんな中でも、結末部分は、本作らしい実にのどかで暖かいハッピーエンドであり、何とも嬉しい気分になったことです(そして、やっぱりラストは里見八犬伝につながっていくのかなあ…と思うとちょっと愉快な気分にもなりました)。


「天狗童子 本朝奇談」(佐藤さとる あかね書房) Amazon bk1

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