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2007.02.01

「魔京」第一篇「さまよえる京」 ゆらぐ世界の中心に

 「SFマガジン」誌上で隔月連載されている朝松健先生の「魔京」。連載第一回のプロローグを読んで、これはある程度まとまるまで読むのを我慢しよう、と決めていたのですが、ついつい堪えきれずに読んだ第一篇(連載第二、三回)が実に面白く、驚かされました。
 古代から近未来に至るまでの、この国の「京都(みやこ)」の姿を巡る物語である本作の実質上の始まりとなるのは、大化の改新後の大津宮を舞台とした物語です。

 天智天皇(中大兄皇子)を支える藤原鎌足配下の密偵・角鹿漢人が、鎌足の命で高句麗から盗み出した二体の像。それこそは、鎌足の言によれば「京都(みやこ)そのもの」「神のごときモノ」でありました。
 世界の中心が存在がために、時空が定まらず混沌とした倭国。倭国に中心を与え、時空を安定させることが大化の改新以降の鎌足の政の真の目的であり、この像こそが我が国における世界の中心となるべきものなのでした。
 中臣氏に伝わる秘法により、鎌足の、中臣氏の蓄積してきた知識・秘儀の全てを授けられた漢人は、その像に選ばれた中大兄の娘(後の持統天皇)に仕え、その教育係となりますが、それがやがて、鎌足の思惑を超えて事態を動かすことに――

 この第一篇を一読して、何よりもまず驚かされたのは、「世界」の中心が存在しないために、その存在する時空が安定しないという、古代日本の「世界」観。
 それぞれの氏族がそれぞれの神を信奉していたが故に、世界を統べる法が定まらず、それ故に天皇家以外の有力豪族は平らげられ、そして仏教が導入される必要が――そして更に「京都」が定められる必要が――あったという古代史観には、頭をガツンとやられた気分になりました。
 かつて作者は傑作アクション・ホラーシリーズ「魔術戦士」の中で、古代日本が世界中の邪神が封じられた、悪の流刑地であったという説を示しましたが、今回のインパクトは、それを遙かに上回るものがあったかと思います。
 そして――世界を、時空を確たるものとして規定するために、世界を客観化する存在の必要性を描いた点からは、宇宙のゆらぎの中から悪夢めいた超常現象が生まれるというメカニズムを提示した、作者のライフワークたる逆宇宙理論と表裏一体のものを感じたことです。

 このような魅力的なアイディア、それだけで優に長編一本分はありそうなガジェットが詰め込まれているものの、分量的には短編であるため、この第一篇は展開的にはかなり圧縮された姿となっています。が、それがかえって物語に年代記的味わいと、淡々と歴史が紡がれていく一種の凄みを与えているかに思える…というのは褒めすぎかもしれませんが、正直な感想であります。

 さて、この第一篇は、それ自体独立したものとして読むことができますが、一つの巨大な物語としては、まだまだその全貌は見えない状態です。
 第一篇の結末で誕生した「日本」という国が、如何なる運命の中でその都を移すこととなったのか。「京都」の、「世界」の中心たる一対の存在、コワスミヤコとツクルミヤコとは何者なのか。そして、いかなる歴史と運命を経て、序章で描かれた近未来の東京を襲った惨劇につながっていくのか。謎は無数に存在しています。
 現在中編までが掲載されている第二篇では、平安末期の源平の争いの中で、都の生命の争奪戦が描かれています。この先、伝奇というフィルターを通して、どのように「京都」という存在が描かれることとなるのか、楽しみでなりません。
 そしてそれは同時に、日本という「国家」の、そしてその歴史の、正体を探る試みになるのではないかと感じている次第です。


「魔京」第一篇「さまよえる京」(朝松健 「SFマガジン」2006年9月号、11月号掲載)

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