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2007.03.06

「オヅヌ」第二巻 物語は「起」から「承」へ

 ようやく登場の「オヅヌ」第二巻は、比較的静かな展開だった第一巻に比べ、敵味方様々に動き出した印象のある展開。起承転結で言えば「起」から「承」に移るところとでも言えばよいでしょうか。
 冒頭から語られるのは、オヅヌたち「キ」の民の由来。キツネを思わせる獣と変化する彼ら「キ」の民の「キ」とは、漢字で表せば「麒」、その本地は…と、あれよあれよというまに物語が、いかにも朝松節の効いた超古代の日本史、いやアジア史へと繋がっていく様には感心させられました。

 その一方で蝦夷の居住地に逃れたオヅヌとゼン爺、コウは藤原不比人率いる兵士たちの攻撃の前に窮地に立たされますが…この場面でのアクションシーンがユニーク。
 初めは派手で大きな、しかしそれだけに無駄が多かったオヅヌのアクションが、戦闘中のゼン爺の指導により無駄のない洗練されたもの――ウケヒになっていくという、動きの変化が如実に見て取れるアクション設計で、なかなかに説得力のあるシーンとなっていたかと思います(ちなみに「ウケヒ」とは、誓約や、神意を問う儀式のことですが、ここで体術の名として使われているのが面白いですね)。
 画風的に梶原にき氏の画はかなりシンプルではあるのですが、ここではそれがプラスに働いて、アクションの骨格というものがはっきりと見えたのかな、という印象です。

 とはいえ――正直なところ、画的にはまだまだ…と感じさせられる部分があるのも正直なところ。特に物語を通じてのオヅヌの強大な敵になるであろう韓国広足の描写に、邪悪さのスケール感が感じられず、小才子といった趣になってしまっているのには、やはり不満があります(と、本当に小才子だったら心からお詫びいたします)。

 物語的には既に助走を終え、役者も揃った感のある本作。後は画が、物語の大きなポテンシャルを受け止め、能くこれを展開し得るかですが…この第二巻のラスト、ウノササラの情念が秘めていた情念を露わにするシーンなどを見ていると、心配するには及ばないかな、と感じているところです。

 しかし何と言いますか、こう、おかしな意味でなく不比人は可愛いね、どうも。


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