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2007.04.14

「鉄人28号 白昼の残月」 戦争と平和、太陽と残月

 劇場アニメ映画「鉄人28号 白昼の残月」を観てきました。いくら何でもこれは時代ものじゃないだろ、と言われるかもしれませんが、本作が、背景となる時代なればこそ成立する物語であることは間違いのないところ。昭和三十年という、戦争の爪痕がいまだ生々しく残る時代を舞台に描かれた、新たなる鉄人の物語であります。

 鉄人28号を駆って日夜活躍する少年探偵・金田正太郎の前に現れた若者・ショウタロウ。旧日本軍の秘密兵器であった鉄人の操縦者として鍛えられた彼は、南方の戦線で死んだかと思われながらも、金田博士のある遺言を携え、戦後十年を経て祖国の土を踏んだのでした。
 折しも東京各地で発見される桁外れの破壊力を持つ謎の不発弾。それこそは金田博士が遺した「廃墟弾」でした。ショウタロウはその廃棄のために帰国したのであり、彼に代わり、正太郎は、鉄人を使っての廃墟弾撤去を続けます。
 が…正太郎の背後に迫るのは、「残月」を名乗る謎の復員兵姿の怪人。さらにショウタロウも謎の行動を取る中、復興利権の独占をもくろんでベラネード財団の影が人に近づきつつありました。そして人々の様々な思惑が一つに絡み合ったとき、東京の地下からあまりに巨大な影、戦争の負の遺産が姿を現して――

 数年前に深夜枠で放映されたTVアニメ版とは基本設定の一部を重ねつつも、パラレルな物語として製作された本作は、正太郎少年に大塚署長と敷島博士、村雨一家やビッグファイア博士と、お馴染みの鉄人のキャラクターが総出演。ロボットの方も、ブラックオックスこそ登場しないものの、それ以外の人気ロボはほとんど登場という、いかにも劇場版らしい豪華さですが、本作はしかし、抑え目の、一種物静かなトーンを終始保って描かれていきます。
 この点は、オールスター総出演という触れ込み、そして何よりもあの「ジャイアントロボ THE ANIMATION」の今川泰宏監督作品ということで、派手な大活劇を期待した向きには不評かも知れません。が、今川監督の本質は、私の見たところ「情念」の二文字。ド派手な演出術も、その情念の一つの表れであり、本作はそれがまた別の形で現れたと考えるべきかと思います。

 さて、TV版では、鉄人28号が、戦争のために造られた兵器であったという点に大きくウェイトを置くことにより、かつて戦争という巨大な嵐に巻き込まれた人々が、その落とし子たる鉄人に直面した時にどのように受け止めるか――もちろんそれは戦争というものをどう受け止めるかとイコールであります――が描かれました。
 一方、この映画版では、むしろ鉄人を遠景に置き、かつてその鉄人でもって戦うことを義務づけられながらも果たせなかった者・ショウタロウに焦点を当てているのが、最大の相違点であり、またユニークな点であります。
 ショウタロウの存在、そしてその彼を襲った悲劇は、もちろんこの鉄人世界でしかあり得ないものではありますが、しかし同時に彼はあの戦争の中で何かを失い、運命を狂わされた人々、そしてその犠牲と引き替えにいま享受される平和に馴染めぬものを感じる人々の代表者であり、代弁者でもあります。
 正太郎の前に現れたショウタロウ――戦後の平和という太陽の前に今なお残る戦争の落とし子たる白昼の残月を中心に物語を描くことにより、本作は、TV版のエッジの効かせ方とは違った手法で、戦争をどう受け止めるか――戦争の価値、善悪を判断するのではなく、いまそこにある・かつてあったものとしてどう感じ行動するのか――という大命題を、浮かび上がらせていると言えます。
 正直なところ、TV版では戦争の惨禍というものが前面に出すぎており、その点で観る人を選ぶ作品ではあったのですが、本作はテーマを同じくしながらも、このショウタロウの存在をワンクッションとすることにより――さらに、親子という存在をそこに絡めることにより、ある種の普遍性を可能としたかと思います(ちなみに、これまで一貫して父性に力点を置いてきた監督が、本作ではそれと反対の立場を取っているのは、なかなか興味深いことであります。ようやく師匠の影から踏み出したといことかしら)。

 そしてショウタロウに対置される正太郎少年は、相変わらず――もちろんそれにより逆に物語の主題を浮かび上がらせる効果はあるのでしょうが――物語の真実から一歩離れたところに立たされている存在であります。だがしかし、TV版とは異なり、もう一人の正太郎、血肉の通った人間である己の兄と出会ったことにより、彼が歩む道のりは、また違ったものとなるであろうことが本作の結末からは予感されます。
 太陽の光が照らす世界の中にも、残月という存在があることを認めた正太郎。それは、戦争という事実を知りつつも、それから逃げることも無視することもなく、その存在を受け止めながら生きていく姿勢の表れであり、そしてそれはそのまま、鉄人28号の存在を真に受け入れた彼の姿に重なっていきます。
 それだからこそ、あの名曲は、冒頭ではなく結末に流されたのでしょう。そう、これは鉄人28号の物語の、一つの始まりでもあるのですから。残月以て瞑すべし。


 なお、蛇足ではありますが、本作で忘れてならないのは、その優れた劇中音楽であります。
 TV版の千住明氏に代わり、映画版の劇伴として選ばれた伊福部昭氏の楽曲(そう、使用されたのは、みな今川監督に選ばれた既存の楽曲であります)は、一種端正さを感じさせる千住節とはまたベクトルの異なる土俗的味わいを湛えており、ドラマに対し、地に足の着いたリアリティを与える効果を上げていたと思います。
 そして、何よりも印象深いのは、春日八郎の「お富さん」。物語の当時の流行歌であり、時代背景を示すという以上に、その歌詞に込められた作中人物の想いを、一度仕舞いまで観た上で改めて考えてみると胸の締め付けられるような気持ちになります。まさに本作の裏主題歌とも言うべきでしょうか。

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