« 今週の「Y十M 柳生忍法帖」 オヤジ邪魔! | トップページ | 「鳥居の赤兵衛 宝引の辰捕者帳」 スマートかつトリッキーな江戸模様 »

2007.04.12

「中世日本の予言書 〈未来記〉を読む 」 過去の未来が現在を語る

 書名のみ見れば、一見センセーショナルな内容かと思わされる本書ですが、もちろん天下の岩波新書がそんなものを出すわけはありません。特に日本の中世期に広く流布した予言書“未来記”を通じて、当時の――そして過去から現在に至るまでの日本人の歴史観、時間意識といったものが語られる好著です。

 未来記、特に聖徳太子の未来記といえば、伝奇時代ファンとしては、山田風太郎の「室町の大予言」や火坂雅志の「神異伝」、さらには朝松健の「彌猴秘帖」が浮かびますが、実在の(という表現が適切かはわかりませんが)偽書。身も蓋もない言い方をすれば、後世の人間の捏造の産物であります。
 こうした未来記を――聖徳太子ら、半ば伝説的な偉人が遺した予言という触れ込みの文章を、様々な形で解釈して現在の現実にあてはめるという行為は、なるほど良識ある人の眉を顰めさせるかも知れません。しかし、その行為が、当時の「現在」を生きた人々が、どのようにその「現実」を受け止めていたかを語っていると、本書は教えてくれます。

 現実を語る手段は、何も真っ正面から、目に映るものを語っていくだけではありません。今ではないいつか、自分ではない誰か、そのように視点の位置を変えることにより、直接的なアプローチでは気付かない、また語れない事実を語ることもまた可能なのです。
 未来記は、偽書、偽りの存在ではありますが、そこに込められているのは、紛れもなく(真の記述者/解釈者にとっての)現実。その意味では未来記は、それ自身のアプローチでもって現在の現実を語る、一種の歴史の叙述装置と言えるのでしょう(ちなみにそれは、時代伝奇ものも同様に持っている機能なのですが)。

 もちろん、日本人がそのような未来記を生み出した、そしてその存在を許容した背後には、それなりの理由があります。その一つが、社会の複雑化、不安定化に伴って生まれた、神仏ですら絶対の存在ではないと思わせるほどの現実への不安感。そんな現実に相対するためのツールとしての未来記について語られた本書の内容は、背景となる中世神話等の面白さもあり、実に興味深く感じました。

 そして…過去の人間が未来を予言する形で現在を語るという、実にややこしい存在であるこの未来記が、しかし、決して過去のものではないことも、本書は教えてくれます。本書の終盤において語られる、近現代においてもなお生まれ、解釈し続けられる未来記の存在――その一つとして挙げられているのは、なんと上で触れた山田風太郎の「室町の大予言」でありました。
 時代伝奇小説が新たな未来記を生み出す…いささか牽強付会ではありますが、これは上で軽く触れた両者の等質性の一つの証左のように思われて、個人的には何とも愉しく感じられたことです。


「中世日本の予言書 〈未来記〉を読む 」(小峯和明 岩波新書) Amazon bk1

|

« 今週の「Y十M 柳生忍法帖」 オヤジ邪魔! | トップページ | 「鳥居の赤兵衛 宝引の辰捕者帳」 スマートかつトリッキーな江戸模様 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/13655/14650096

この記事へのトラックバック一覧です: 「中世日本の予言書 〈未来記〉を読む 」 過去の未来が現在を語る:

« 今週の「Y十M 柳生忍法帖」 オヤジ邪魔! | トップページ | 「鳥居の赤兵衛 宝引の辰捕者帳」 スマートかつトリッキーな江戸模様 »