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2007.05.23

「真説・李舜臣」 荒山徹-(伝奇+ネタ)=?

 先日「小説NON」誌を当たったら荒山徹先生の短編を二つ見つけてしまったので、これはまだあるかもしれんね、と探してみたところ、やはりありました。2005年11月号掲載の「真説・李舜臣」という歴史小説であります。

 秀吉の朝鮮出兵に際し、亀船にて大戦果を挙げ、朝鮮王と並んで「海中王」と称された李舜臣については、デビュー作たる「高麗秘帖」(及び第二作「魔風海峡」)にて詳細に語られているところでありますが、本作は、その李舜臣の一生を、朝鮮王からの視点を交えつつ描いた作品となっています。

 本作が他の荒山作品と大きく異なる点は、やはり伝奇性が非常に薄い…というよりほとんどゼロという点。その意味では、短編集としての「サラン」収録作に近いラインの作品と言えるかもしれませんし、実に真っ当な歴史小説の味わいがあります。
 「高麗秘帖」でも描かれていたように、武人として国家のために奮闘しながらも、まさにその国家を治める王や貴族たちの政争と嫉みに翻弄された李舜臣の姿には、運命の残酷さ、皮肉さというものを痛いほど感じさせられますし、彼に対置される朝鮮王についても、その救いようのない器の小ささに憤りを覚えつつも、同様に運命に翻弄された一般人の哀しさを感じました。
 何より、普段は派手な伝奇ガジェットや、やりすぎのネタ要素にばかり目が行ってしまって、さまで感じなかった荒山先生の文章力の確かさを再確認させていただいたのは、収穫でした。


 が――ここから先は伝奇既知外のタワゴトと思っていただいて結構ですが、本作が面白いか、と言われたら
「うーん……普通」
と言わざるを得ません。

 もっともこの印象は、基本的に本作の内容、特に李舜臣の後半生が、ディテールの違いこそあれ、「高麗秘帖」で既に描かれているものと被っているというのが大きいのだとは思います。
 が、やはり私が荒山作品に期待しているのは、何よりも天馬空を行くが如き奇想と、それに逆説的に写し出される歴史の・人間の真実の姿なのだな、とつくづく思わされました。

 もちろん荒山先生にとって伝奇やネタ要素はあくまでも方便、本当に書きたいのは本作のような生真面目な歴史ものなのかもしれませんし(もっとも、本作でも唐突に中国武将が「アナタ、何ンニモ判ッテナイアルネ! 李舜臣ノオ蔭アルヨ、アレモコレモ!」とか喋り出すのでこの辺りは先生の素の部分なのやもしれず)、他の多くの時代小説家が歩んできたように、若い頃は派手な(伝奇)時代エンターテイメントを飛ばしておいて、ベテランになってから至極真っ当な時代/歴史小説を描くというパターンをこれから歩もうとしているのかもしれませんが、もうしばらく、いつもの荒山節を聞かせて欲しいな、と、誠に失礼ながら感じた次第です。


「真説・李舜臣」(荒山徹 「小説NON」2005年11月号)


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