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2007.06.07

「幸福を売る侍」「殿さま浪人」 幸福への第一歩

 最近身の回りであんまり楽しくないことがあったので、せめて会社の行き帰りに読む本は楽しいものにしよう、と思って手にしたのが、山手樹一郎先生のこの作品。「幸福を売る侍」「殿さま浪人」と二分冊になっていますが、元々は一つの作品、悪には強いが悩める人には優しい、楽天的で明朗快活なお侍が、周囲の人々を幸せにしていくという、山手作品の王道を行く快作です。

 ある事情から家を飛び出して浪人となった長谷村修平は、その初日から江戸で暮らす様々な人間の屑(…という表現はちょっと厳しすぎるのでは、と最初思いましたが、これはまだ人として踏みとどまっている部分がある、鬼畜外道ではないと理解すればよいのでしょう)に出くわします。しかし彼らにも彼らなりの事情があり、そして悩み苦しむ心があることを知った修平は、彼らを救うために一肌脱ぐことになります。
 そんな修平の前に現れるのは小悪党に莫連女、喰い詰め浪人に渡世人などなど…いずれもふとしたきっかけから正道を踏み外し、世間の裏街道を歩いてきた/歩くところだった人間たちですが、その彼らの沈んだ心を、修平の明るい心が照らし出し、救い出して幸福への第一歩へと踏み出させる――本作は、そんな物語です。

 もっとも、世の中にゃこんな善人は滅多にいないし、人間そうそう簡単に立ち直れたら苦労はないって…と、私みたいに、(人一倍こういうお話が好きなくせに)陳ねこびた拗ね者は思ったりもするのですが、しかし、本作が優しさと甘さを勘違いしたような腑抜けた作品かといえば、もちろんそんなことは断じてありません。
 世の中辛いことだらけ、どれだけ真面目に暮らしてきても、それが報われないことなんて山ほどある。いや、それ以前に真っ当に暮らしたくても暮らせないことだってあるし、そんなことなどハナっから考えずにしたい放題して暮らす外道どもも山といる。本作で描かれる江戸の町は、決して楽園でも天国でもなく、こんな、現代の現実とさして変わらない世界であります。
 しかし、そんな中にも楽しいこと、素敵なこと、嬉しいことは必ず――それまでが辛ければ辛いほど一層明るく――輝くのですし、そして人がその輝きを掴むことができるのは、他者とのポジティブな関わりにおいてのみ、ということを、本作は高らかに謳っているのです。

 そんな点からも、この連作中最も印象に残ったのは、「若き狼たち」というエピソード。町にたむろってはやくざ顔負けの悪事を働く外道の若造たちに、修平が挑むというストーリー…のはずが、物語の焦点はいつしか、彼らに付け狙われる若い浪人と、元・掏摸の美女へと移っていきます。全くの偶然で出会って以来、やがて互いが気になる存在になっていく二人。しかし浪人の方はかつて女性に手酷く裏切られた過去があり、また女の方も、既に足を洗ったとはいえ、自分の過去を常に引け目に思って、一歩を踏み出せない有様。
 普通であれば愛の力は無敵で、あっさりと二人の間の障壁を尽き崩してしまうのでしょうが、しかし本作ではなかなか二人の間の距離は縮まらない。こと、いかに好意を抱き合っている美女が相手とて過去が過去、そして自分自身の明日の暮らしもままならぬ状況では、一線を越えて、相手を背負ってこの先を生きていくことはどうにもためらわれる…という男性側の悩みが非常にリアルで、何というか、大いにうなづけるものがあったというか…
 まあ、何だかんだいって二人の間には意外な因縁があって(本作はこれが異常に多いのですがまあご愛敬)、めでたく二人は結ばれるのですが、そこに至るまでのさりげない心の動きがまたよく書けていて、今更ながら山手先生の筆力というものを感じました。

 何はともあれ、読み終わった後は自分まで明るい気持ちになって、何だか良いことがあるような気持ちになってくる本作。主人公が幸福を売る、そのお代は登場人物の、そして読者の笑顔――というのはあまりにもクサすぎるかもしれませんが、こういう作品だってあっていい、いや是非ともあってほしいという気持ちになる…これはそんな作品です。


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