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2007.06.26

「江戸の妖怪事件簿」 怪異の背後に潜むもの

 集英社新書からつい先日発売されたばかりの田中聡氏の新著が、この「江戸の妖怪事件簿」です。氏の著書については、「東京戸板返し」の頃から楽しみにしつつも、同じ集英社新書の前著「妖怪と怨霊の日本史」は、概説本的内容で個人的にはちょっとノれなかったのですが、本書は、平易な語り口ながら、それ系のマニアにも楽しいディープなネタを独自の視点で描いてみせた、なかなか興味深い本でした。

 タイトルの通り、本書は、江戸時代の随筆・日記等に記録された妖怪絡みの事件に関する記述を拾い上げたもの。そういった江戸時代の著作物には、怪奇事件について言及したものが少なからずあるものですが、本書ではそうした中から興味深い記述を採り上げるとともに、それをそのまま並べてオシマイにはせずに、その現象・その記述の背後に潜むもの――時代性や人間性といったもの――を掘り起こし、語っていきます。
 私もこんな年表を作っているくらいですから、この手の話には目がないのですが、しかしそんな私にとっても本書の内容はなかなか興味深く、また収穫でした。
 例えば幽霊話。怪談といえば幽霊話、当然江戸人の頭の中には、一般常識として幽霊の存在があったのだろうな、と思えばさにあらず。幽霊などを信じるのは愚かなこと、何となればあれは狐狸の類が化けたものなのだから…
 と、思わず突っ込みを入れたくなってしまうような、ある意味現代とは正反対の怪異観が、江戸時代には存在していたというのは、全くもって目から鱗、の気分でした。

 また、上記とは別の意味で非常に興味深かったのは、ゴシップとしての怪談(怪談から生じるゴシップあるいはゴシップから生じる怪談)が生む二次被害の存在。火のないところに煙は立たぬ、いや怪異は起きぬとばかりに、怪談の被害者が面白半分のゴシップの題材とされることにより、より大きな二次被害を被る様は、群衆の心理が、いつの時代もそうは変わらぬということを、我々に突きつけてきます。
 殊に、幽霊の出没する家に、見物の群衆が石を投げ込むという有様を指して「幽霊の因縁に潜むであろう暴力性が、その噂を娯しむ人々の内なる暴力性と感応しあうのだろうか」という文章からは、現代のネット上での「祭り」やら「炎上」といった現象に通じる、人の心が暴走するメカニズムを感じさせて暗い気分にさせられます。

 そんな刺激的な内容の本書ですが、唯一残念なのは、その中でもラストの二章「妖怪のいる自然学」「アメリカから来た狐」が、スペースの関係からかかなり駆け足な内容であったこと。特に前者は当時のインテリ層による妖怪解題が、自然のみならず、神界をも含めた宇宙把握の手段と繋がっていたことを語るユニークな内容で、これだけで一冊書けるほど興味深い題材であっただけに、勿体ない…というのが正直なところです。

 冒頭に挙げた「妖怪と怨霊の日本史」では室町時代までを、そして本書においては江戸時代を扱っているところ、もう一冊、最終章で提示された怪異への畏怖や後ろめたさを失った近代以降、現代に至るまでの妖怪の姿についても語ってもらえれば…と個人的には思います。


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