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2007.08.21

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 沢庵敗れたり…

 さて、お盆休みを挟んで一週間ぶりの「Y十M 柳生忍法帖」。前回は、上野寛永寺で天海が己と銅伯の秘密を千姫らに語る一方で、会津城の地下祭壇で銅伯が沢庵らを前に奇怪な修法を行うという、宿命の双生児を江戸と会津に置いての二元中継でした。そして、その宿命の糸によるものか、あたかもこの二つの舞台を繋ぐかのように、会津の祭壇に据えられた鏡に、奇怪、天海の姿が映し出されたところで引きとなりましたが、さて、この奇怪な現象の意味は…

 銅伯の奇怪な修法により、眼前に江戸にいるはずの天海の姿を見せつけられた沢庵とおとねさんは、思いもよらぬ天海…いや展開にただ驚き、震えるばかり。もちろん、TVが至極当たり前に存在する現代とは異なり、遠方のものを、あたかも目の前にあるかのように映し出すというのは、おとねさんが怯え、そして沢庵も冷や汗をかくほどのインパクトだったかとは思いますが、しかし、単に遠くの状況を移すだけであれば、慣れれば恐れるに足らぬもの。しかし、何ぞ知らん、本当に恐ろしいものは、これから沢庵たちが見せつけられるものだったとは――

 一方、ついに自分と銅伯の不死の秘密を語った天海。将軍と松平伊豆守しか知らぬというその一大秘密を知る者に、これで千姫様も加わったわけですが…いや、あと二人。その一人であるお笛は、ここでこともあろうにお笛は自分の懐剣に手を…いや、確かに誰でも思いつくことではあるんですが、しかしさすがにそれはいくら何でも…と、見ているこちらが慌ててしまいますが、ここでくわっと見開かれる天海の目! 「今…両者の星の力は伯仲しておる…いや! 少なくともわしは負けぬ!!」その表情たるや、到底百八歳の老人とは思えぬ気迫に満ちたもの。ドスの利いたピカード船長みたいな声で喋りそうな天海様の迫力の前には、お笛も金縛り状態です。

 しかし――緊迫したシーンの時にこんなことを言うのは何ですが、今回の漫画化で一番得をした登場人物はお笛ではないでしょうか。ビジュアル的なものもさることながら、原作では結構アレなキャラクターが、こちらではちょっと…いやかなりそそっかしくて考えたことがだだ漏れで、しかしそこがむしろ飾り気のない可愛らしさになっているという…
このシーンも、原作では何も考えずに文字通り単刀直入しようとしたのですが、こちらでは、さまでに単純ではなく、それなりに覚悟した上での行動と取れるように描かれており、やはり単なるおバカさんではありません。
 また、その後にお千絵になだめられている姿が可愛いんだ…<何言ってるんスか三田さん

 閑話休題、銅伯が芦名家復興のために執念を燃やすのと同様、天海にも徳川幕府を盤石のものとするという執念があります。その執念はおそらく銅伯と同じくらい、いや、対象が大きい分、より激しい想いなのではないかと感じられるのですが、その天海にとって一つの区切りとなるのが、三代将軍家光への天台の血脈相承の儀式。
 血脈とは、その文字が表しているように、あたかも脈々と血筋が受け継がれていくように、その一門の教えが、師から弟子へ受け継がれていくこと。その血脈を、すなわち天台の秘儀を伝えるという行為は、武術で例えるならば免許皆伝、いや、仏教界における将軍宣下のようなものでしょうか。
 すなわち、遠く平安から受け継がれ、間違いなく我が国最大の仏教宗派の一つである天台宗の血脈を受けるということは、これは言い替えれば、世俗のみならず、仏教の世界においても、家光が頂点に立つことにほかなりません。徳川の世を盤石のものとすることを悲願としてきた天海にとって、これはまさに己の想いが形となって結ばれるということであります。しかも、それを他の誰でもない、自分自身の手で成し遂げることができるのですから、その思い入れたるや、凄まじいものがあるのでしょう。

 そして千姫に対し、自分に出来ることは、沢庵と堀の女たちを無事に引き揚げさせるために、銅伯と和睦することだけと語る天海。が、それはお千絵たちにしてみれば、自分たちの悲願を断念することと同義、すなわち敗北を意味します。そこで思わず非難めいた大きな声をあげてしまったお千絵ですが――そこで天海が見せたのは、意外にも、先ほどのお笛を恐れさせた炯々とした眼光とはうって変わった、実に人間的な悩みと悲しみの表情でありました。
 …もちろん、天海ほどの人物が己一人の命惜しさのために死を恐れるものではないでしょうが、しかし上述の通り、彼の命は、今や徳川家安泰の鍵とでも言うべきもの。が、将軍の師であると同時に彼も一人の仏僧。一族の怨みを晴らすために――いやいや、いまや天魔外道を討つという正義のために自分たちの若い命を燃やす乙女たちの悲願を、己一人の悲願ために断念させるというのは、まさに苦渋の決断、まさに身を引き裂かれるような思いでしょう…

 と、本当に身を引き裂かれるように苦しみ始めた天海。それもそのはず、遠く会津では、何と銅伯が虹七郎と銀四郎に己が身を刃でもって貫かせていたのでした。眼前の、そして遠く江戸の惨劇の前に、ついにおとねさんは失神。そして、いかに強情偏屈の沢庵も我慢できなくなったか、銅伯を止め…遂に、銅伯との和睦を受け容れます。
 が――ここで悪鬼の本性をむき出しにしたのは銅伯。「くくくく…おそい…おそうござるな沢庵どの!」の言葉とともに嵩にかかって銅伯が要求するのは、和睦…すなわち沢庵たちの敗北宣言のみならず、般若面の首。さすがにそれは拒もうとする沢庵ですが、しかし眼前で天海の苦しみ悶える姿を見せられては分が悪すぎる話ではあります。
 当然、沢庵も天海の血脈相承のことは承知していることでしょうし、仏道のためであれば将軍家にも平気で楯突く沢庵であっても、天海の悲願をここで捨てさせることはできないでしょう。いや、それ以前の問題として、己にとって大先達である以上に大恩人である人物をいわば人質に取られて、しかもその苦しむ姿を見せつけられて、普通の心を持つ人間であれば、悩まぬ者がいるでしょうか。
 …いや、悩みそうにない人間がいました。ここの、痛烈なジレンマに苦しむ沢庵に対し、一片の良心の呵責などなきが如く邪悪な笑みを見せる銅伯の表情は、まさに悪魔のそれ。己の目的を果たすためであれば、己以外の人間を踏みつけにしても恥じぬ、人間悪の塊のような表情であります。
 先ほどの天海の苦渋に満ちた表情と、銅伯のこの表情と――あまりに対照的な表情を見せる二人の姿は、間違いなく今回のハイライトでしょう。ちょっとオーバーかもしれませんが、こと、この二つのシーンにおいては、せがわ先生の画力が、山風の文章力を上回った感があります。

 そして――「さあ! 御坊が大切に思われるは徳川の大柱石南光坊天海か! それとも般若面か!」「ただ今選んで即刻返答なされい!!」と畳み掛ける銅伯の前に、遂に沢庵の口から漏れたのは、「…われ負けたり…」の一言。
 同じような内容であっても、かつて会津城に現れた際に、同じ銅伯に対して「負けたよ」とにこにこと言ってのけたのとは、全く異なる、あまりにも悄然と弱々しい表情は、痛ましいと言うしかありません。

 さて、あまりにも意外な展開の末、ここに沢庵敗れたり。それは同時に十兵衛の、そしてまた堀の女たちの敗北、いや死をも意味することにほかなりませんが――本当に、本当に打つ手はないのか? 「すまぬ…十兵衛」って謝られても十兵衛困るんですが…
 というところで以下次号…じゃなくて次々号? 確かに、本来であれば三号連続掲載であるところ、一応今回で四号連続掲載ではありますが、こんなところでまた一週待たされるとは殺生な! と、こちらも悄然としつつ、再来週を待つことといたします。

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