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2007.08.30

「雷迅剣の旋風」 新たなる旋風、無頼の牙

 江戸八百八町を股にかけた近年希にみる大殺陣の果てに、ひとまずの終わりを迎えた牧秀彦先生の「辻番所」シリーズ。その第二シリーズが、新たなる主人公を迎えてスタートしました。
 レギュラー陣はそのまま、新たなる主人公を務めるのは名門の出身ながら無頼を気取る青年・本多誠四郎。第一シリーズの主人公・辻風弥十郎とは何から何まで異なるキャラクターの登場に若干の戸惑いを覚えつつ読んでみれば、これがまた見事なまでの快作でありました。

 弥十郎が江戸から姿を消して数ヶ月。かつて彼と共に裏稼業を勤めてきた根津の辻番所の留蔵爺さんと辻謡曲の浪人・田部伊織がそれぞれに平穏な時間を送っていたところに現れたのは、無頼の青年・誠四郎。誠四郎の不敵さに戸惑いを覚えつつも、留蔵は彼に弥十郎の面影を見るのでした。
 実は誠四郎の実家は徳川直参の名門・本多家。長子でありながらも妾腹に生まれた誠四郎は、正室との間に弟が生まれたがために父と義母に疎まれ続けてきた末に、弟に家督を譲るためあえて無頼に走っていた…という裏事情。
 一方、留蔵と伊織は、裏稼業の秘密を知る弥十郎の旧知の侍・榊伊作の依頼により、さる大名家のお家騒動絡みの仕事を行う羽目となります。偶然その一部始終を知ることとなった誠四郎は、暗殺で片をつけようという伊作の卑劣さに怒り、決闘を挑むのですが――

 というのが第一話のあらすじ。新主人公である誠四郎の人となりの紹介と、それと同時に一度は裏稼業から足を洗った留蔵たちの復帰の様を手際よく一エピソードとしてまとめ上げて成立させているのはさすがと言うほかありませんが、それ以上に、この第一話から感じ取れた、作者がこの第二シリーズを始めるにあたっての狙いというものに私は感心しました。

 そもそも、親から子へといった世代交代や、脇役に焦点を当てたスピンオフという形態でなしに、同一の舞台とサブキャラクターを使って、主人公のみを新しくした第二シリーズという形式自体、時代小説の世界では相当に珍しいものであります。もちろん、サブキャラや世界観を一にすることによる安定感という利点はありますが、一歩間違えれば先代の主人公の存在に、新主人公が潰されてしまう危険性も大いにあり、それであればむしろスピンオフにするなり、全く(あるいは微妙に)異なる舞台で新作をスタートさせる方が、むしろリスクは少ないのではないか…と、普通は考えてしまいます。
 が、そうであってもあえてここで第二シリーズ、新主人公というスタイルを作者が取ったのは、むしろ先代の存在を、そのプレッシャーを、より鮮烈に誠四郎のキャラクターを深め、その成長物語をよりドラマティックにするための原動力として使うためではないか――第一話を読んだとき、私はそう感じました。

 振り返ってみれば、記憶喪失という特殊な状況にあったものの、先代主人公の弥十郎は相当に安定した、言い換えればほぼ完成された人物でありました。それに対して誠四郎は、まだまだ腕前的にも人格的発展途上、まだまだ未熟な面も多いキャラクター。人並み以上に腕は立つものの、まだまだ真の達人クラスには及ばず、また、何のかんの言ってもお坊ちゃん暮らしで性格的にも甘ったれたところ(スタイルだけの無頼というのは往々にして甘えの裏返しではあります)が見えます。
 そんな誠四郎にとって、状況的に何かと弥十郎と比べられるというのは面白かろうはずがありませんが、しかしそこでふて腐れてしまわないのが誠四郎の良い意味の若さ。かえってそれをバネにして自らをステップアップさせ、弥十郎とは違った意味で魅力的な人物として周囲に、そして読者に自分を認めさせていくというのが、本作の基本構成であると想像できます。

 もちろんこうした成長物語は、舞台も周囲の人物も含めて全くゼロから始めても全く問題ないものではあります。しかし、以前と同じ世界で、同じ登場人物を配置して――すなわち主人公以外はそのままで――主人公のみを入れ替えることで、先代主人公を含めた周囲との比較により新しい主人公の個性を際立たせるとともに、その比較されること自体を主人公の行動原理の一つとして(例えば先代への反発、例えば先代への憧れetc.)使うことで、主人公の行動に説得力と深みを与えようとしているのではないかと、私は感じました。

 いささか長くなってしまいましたが、先に書いたとおり、時代小説では極めて珍しい――それだけに難しい――主役交代劇を鮮やかにやってのけた作者の業前にはただ感嘆するのみです。
 本書に収録された残り二話も、いずれも誠四郎と周囲の世界の触れ合う様、そして誠四郎の成長に、手に汗握る剣戟を絡めてみせた佳品であり、一歩一歩己を高め、周囲に受け入れられていく誠四郎の姿が、我が事のように嬉しく、また爽快に感じられることです。
(また、第三話で居合遣いの強敵に敗北した誠四郎が、特訓の中で会得した居合の要諦を逆用して、相手の居合を封じるシーンの理詰めな、しかしダイナミックなアクションには大いに唸らされました)


 こうして鮮烈に、しかし着実にデビュー戦を飾ってみせた誠四郎。これからも彼の前には、幾多の戦いと挫折、喜びと悲しみが待ち受けていることと思いますが、しかし、そのたびに彼が少しずつ成長を遂げていくことは間違いありません。甘えるのでも拗ねるのでもなく、真に己の足で大道を往く、無頼の牙を研ぎ澄ませた旋風児の姿を楽しみに見守っていきたいと思います。
 そして――誠四郎が名実ともに主人公として恥ずかしくない人物となった暁には、先代主人公たる弥十郎との、ダブルライダー、ダブルマジンガー級の夢の揃い踏みを是非見せていただきたいものです。
 その時を楽しみにしつつ…


「雷迅剣の旋風」(牧秀彦 光文社文庫) Amazon

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