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2007.11.23

「黒猫侍」(その1) 赤穂浪士への視線

 時は享保、江戸に奇怪な妖術を操る黒猫道人なる怪人が現れた。吉良方の残党を指嗾し、幕府を翻弄する道人を打ち倒したのは、公家の身分を捨てて武士となった先の清閑寺中納言、中興上総介。その業を讃え、「黒猫侍」と人に呼ばれるようになった上総介だが、彼の前にはなおも幾多の怪事件が待ち受けるのだった。

 近頃、新潮文庫の「薄桜記」解説にて、かの荒山徹先生が激賞したのが本作「黒猫侍」であります。なるほど、曲者荒山先生お薦めだけあって、面白いのはもちろんのこと、なかなか一筋縄ではいかない、なかなかに味わい深い作品でありました。

 やんごとなき生まれながら市井に暮らす知勇に優れたヒーローが、次々と起きる怪事件を、快刀乱麻を断つが如く解決していく本作は、これだけ見れば典型的な時代エンターテイメントと申せましょう。
 もちろん、五味康祐先生だけあって、剣戟描写の味わいは言うまでもなく、もう一つ、五味先生お得意の艶っぽいところも色々と織り込まれていて、(一部、五味長編らしい難渋な部分はあるものの)まず見事な大衆文学ぶりです。

 が、注目すべきはその題材でしょう。物語のプロローグである黒猫道人のエピソードをはじめとして、本作の中盤過ぎまで描かれるのは、あの赤穂浪士の仇討ちをきっかけとした、悲喜こもごもの人間群像というべきものであります。
 あの仇討ちから二十年近くがたち、事件のディテールが忘れ去られて浪士たちの偶像化――そしてそれと背中合わせの吉良方への白眼視――が強まる中、現実と義挙(と伝えられるもの)の間の一種の歪みが吹き出したものこそが、上総介が立ち向かう事件の核であります。

 四十七人の英雄の影で、一体どれほどの人間が涙を呑んだか。討たれた吉良方はもちろんのこと、仇討ちの脱盟者や、事件に関わった大名家、さらには公家に至るまで、多くの人々の運命を狂わせた仇討ちの姿を、本作は上総介の活躍を通じて問い直す形となっています。

 その視線は、自然、仇討ち――というよりもそれを義挙ともてはやす社会と人間の在りよう――に批判的なものとなりがちではありますが、しかしそれは、単純に善悪をひっくり返してみせたようなものではなく、より複層的で、様々な角度から切り込んだものとなっているのには唸らされます。
(いささか長くなりましたので明日に続きます)


「黒猫侍」(五味康祐 徳間文庫) Amazon

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