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2007.11.16

「打てや叩けや 源平物怪合戦」 二つの物怪の間で

 源平の合戦も末期の頃、青年・阿古丸は、何者かに幻術をかけられ、生死を彷徨う。堀川印地の大将・湛海の紹介で訪れた熊野で術を解いてもらった阿古丸だが、喜びも束の間、今度は恋人が何者かに殺害されてしまう。そのどちらも、梓なる幻術師の仕業と知らされた阿古丸は、梓を討つため修行に励むが、再会した湛海に鎌倉への使いを依頼されたことにより、頼朝・義経・平家残党の複雑怪奇な暗闘を目の当たりにするのだった。

 源平の合戦といえば、貴族の時代と武士の時代の過渡期ということで、何かと華々しい時代というイメージがあります。が、どんな時代にも華々しく輝かしい部分があれば、混沌とした薄暗い部分が存在します。

 そんな、時代の陰の部分に光を当てて見せたのが本作であります。武士同士の戦が繰り広げられる背後に蠢く、奇怪な術を操る幻術師たち…いや、それにとどまらず、印地打ちや熊野巫女、脚力といった、通常の歴史では語られることのほとんどない階層の人々が、本作の一方の主役であり、副題において「物怪」として示されている存在であります。

 しかし、「物怪」はまた、歴史の陰の部分にのみ存在するものではありません。歴史の表舞台で活躍した人々も、一皮剥いてみれば複雑怪奇で後ろ暗い部分を持つもの。
 戦功ある自分の弟も誅しようとする頼朝、兄の気も知らず女漁りに夢中の義経、そんな兄弟を利用して暗躍する後白河院――彼らもまた「物怪」であり、本作のいま一方の主役であります。

 そしてその二つの物怪の間に挟まれるのが、主人公である阿古丸。幻術師に術をかけられ、源氏同士の争いに巻き込まれ――ひたすら振り回される彼の姿は、もちろん本作独自の、フィクションならではの存在ではありますが、しかし当時の――いや、いついかなる時代も存在する――ごく普通の、大衆の姿を戯画化したものでもあるのでしょう。

 ガチガチの(?)伝奇活劇を期待するとどうかわかりませんが、物怪という刃でもって、歴史のうねりの中での人間の諸相を切り取って見せたその内容は、決して悪いものではありません。


 ちなみに――本作を読んでいて、すぐに司馬遼太郎の「妖怪」を思い出しました。平安末期と室町後期という時代の違いこそあれ、激動する時代の中で翻弄される人間の姿を、人外の存在に仮託して――そして結局それらの存在以上に人間離れした人々の存在を示して――描き出してみせるスタイルは、かなりの部分、重なり合っているように感じます。

 もっとも、「妖怪」が、既存の秩序が破壊されていく時代の物語とすれば、本作は既存の秩序が変容していく時代の物語。本作の、あっけらかんとしつつもどこか微笑ましい結末の味わいは、このような時代相から来るものかもしれません。


「打てや叩けや 源平物怪合戦」(東郷隆 光文社文庫) Amazon

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