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2007.11.24

「黒猫侍」(その2) “猫”である理由

 昨日から続きます。
 例えば――吉良上野介が高家筆頭であり、朝廷との関係から、浅野内匠頭の刃傷は、そして赤穂浪士の討ち入りは、帝への不敬とみなされたという観点には、コロンブスの卵的驚きがありますし、そこに公家と武士の境界人たる上総介が、一連の事件に関わる一種の必然性が浮かび上がります。

 が…どこまでも一筋縄ではいかなり本作、赤穂浪士に関わる事件はいつしかフェードアウトして、上総介は大岡忠相が持ち込む種々雑多な事件に挑むことになります。
 これは、週刊連載ゆえの構成の崩壊にも見えるのですが、しかし、よくよく見てみれば、物語の中心にあるもの自体は、変わっていないことに気づきます。
 すなわち、本作の真のテーマは、赤穂浪士にとどまらず、その彼らの行動の根幹としてあった「武士」という存在、その生き様にあるのではないか…そう思えるのです。

 こうして考えてみると、本作の題名が、そして主人公の異名が、何故黒“猫”侍なのか、その意味もわかろうというものです。
 そう、己の主に忠実な“犬”=武士に対比した存在としての、飼い主の恩など知らぬげに自由に振る舞う“猫”=公家と――


 大衆エンターテイメントとして読者を楽しませながらも、その背後で武士という存在に対して、思いも寄らぬ深い論考を展開してみせる…五味大人らしい、ユニークな作品であります。


 さあここで台無しなお話。本作のヒロインの一人である尚姫のキャラクターが、これが今の目で見ると何だか凄い。
・主人公の血の繋がらない妹
・男装の美少女で剣の達人
・周囲に対してはツン(公家だし)だが、主人公には途方もなくデレる

 …到底数十年前に書かれた作品のヒロインとは思えぬナニっぷりで、五味先生の凄みというものを味わいました。
 ライトノベル読者は五味作品を読め、というのはこのことか!<違います


「黒猫侍」(五味康祐 徳間文庫) Amazon

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