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2008.01.17

「死ぬことと見つけたり」 鍋島三銃士の真なる武士道

 佐賀鍋島藩を天領にせんと暗躍する老中・松平信綱。その前に立ちふさがったのは、鍋島藩の「いくさ人」斎藤杢之助だった。行住坐臥全てで「死人」として生きる杢之助は、同じ葉隠武士でいくさ人の中野求馬、牛島萬右衛門らと共に、破天荒なやり方で数々の奸計・難題に挑む。

 私が生まれて初めて「痛快」という気持ちを知ったのは、大デュマの「三銃士」を読んだときでした。快男児ダルタニャンが、いずれ劣らぬ豪傑の三銃士と知己を結び、権威権力なんのその、の冒険を繰り広げる様に、幼い私は大いに心躍らされたものでした。
 そしてこの時の痛快さを、読むたびに心に蘇らせてくれるのが、この「死ぬことと見つけたり」であります。
 鉄砲の達人で死生を超越した心を持つ狩人・いくさ人である斎藤杢之助、主君に諫言して死を賜った父を目標に家老の座を目指す中野求馬、杢之助に心酔する豪傑で大猿を小友にした牛島萬右衛門と、一癖も二癖もある鍋島武士トリオが、家老だろうと老中だろうと、義に外れたことをしでかし、お家を危うくする者に戦いを挑む様を描いた本作には、大いに興奮させられました。

 何せこの三人(をはじめとする鍋島武士連)、命知らず…どころか、端から「死人」として生きているのだから凄まじい。朝起きた時にまず死んでみる――己の様々な死に方をイメージトレーニングする――ような覚悟完了した連中に、世俗の権力も暴力も及ぶものかは、時代小説界広しといえども、絶対喧嘩を売ってはいけない奴ら、と言えるでしょう(基本的に「そうか、よし殺す!」な方々ですので…)。

 さて、この彼らの行動のモデルであり、ある意味本作の原作となっているのが、かの「葉隠」であります。武士道の典型とも言える精神を示したこの書は、しかし、特に本作の題名の由来ともなっている「武士道と云は死ぬ事と見付たり」のフレーズなど、剣呑で、些か非人間的な世界観の書物として受け取られることが多いのではないかと思います(ちなみにこのネガティブイメージには、「シグルイ」も一役買っていると思うのは言い過ぎでしょうか)。
 本作の主人公である鍋島三銃士のキャラも、一見こうしたネガティブイメージの体現のようにも思えるかもしれません。

 しかし、本作における「葉隠」解釈は、むしろそれとは正反対の、人間性を強く肯定するものと感じられます。
 杢之助らの行動は、確かに破天荒で剣呑極まりないものに見えますが、しかしその根底にあるのは、人としてあるべき姿を守り、己を厳しく律しようという姿であり――そのためには己の命を捨てることも厭わない、強烈に自立した意志であります。
 封建的秩序の下で個を失うマゾヒズム武士道でも、ましてや単なる規律に身を委ねて悦に入るファッション武士道でもなく――自立し、自律する個人の道とも言うべき武士道の姿が、そこにはあるのです。
 鍋島三銃士が剣呑極まりない――一歩間違えれば完全にギャグになってしまいそうなほどの――極端な行動をとるにも関わらず、しかしそこに痛快さが感じられるのは、まさにこの点に由来するのでしょう。
(そして、この見事な読み換えをやってのけた隆慶先生の精神たるや、賞賛すべしでしょう)

 さて、実のところ隆慶作品には随分と点が辛い私が、ほとんど絶賛するしかない本作に無理に欠点を見つけるとすれば、それは作者の死により、物語が未完のままに終わったことでしょうか。
 構想されていた結末では、杢之助たちが真実の死を迎える様が描かれる予定だったようですが、しかしこれは(真面目なファンの方には怒られるかもしれませんが)描かれずにいて良かったのかもしれません。
 大デュマの「三銃士」が、作中で老い、そして死んでいった時の何とも言えぬ寂寥感を思うにつけ…その最期が描かれなかった鍋島三銃士は、今も痛快に暴れ回っていると、そう思いたい気持ちが――それこそ「葉隠」の精神には反するでしょうが――私にはあります。


「死ぬことと見つけたり」(隆慶一郎 新潮文庫 全二巻) 上巻 Amazon/下巻 Amazon

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