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2008.01.26

「新宮本武蔵」 武蔵、怪人を斬る

 日本SF界の長老であった光瀬龍先生は、その一方で少なからぬ数の時代小説を発表されていますが、その中でしばしば主役を務めているのがあの宮本武蔵。
 光瀬先生の描くところの武蔵は、しかし、些か剣聖と呼ぶには違和感のあるキャラクター(というか扱い)なのですが、そんな光瀬先生の武蔵ものの中で、もっとも異彩を放っているのが、この「新宮本武蔵」です。

 大坂の陣の後から、島原の乱辺りまでの、「その後の武蔵」の姿を描いた連作短編スタイルの本作。武蔵の前に、様々な技を操る敵が出現し、武蔵が苦闘の末にこれを打ち破るというのは定番展開でありますが、しかしその敵というのが、並みの相手ではありません。

 絡繰というにはあまりに精巧な自動人形を操る男、土中から掘り出された梵鐘の中から現れ、奇怪な光線を放つ幽鬼、動物はおろか人間に至るまで精巧な複製を造り出す妖僧…
 本作で武蔵の前に立ち塞がるのは、こうした通常の時代小説離れした――ストレートに言ってしまえば、SFチックな怪人たちであります。
 普通の武芸者が相手であればともかく、えそもそも人間かどうかすら怪しい連中を敵に回してはさしもの武蔵も分が悪い。
 かくて武蔵は毎回苦戦を強いられ――というより醜態を晒しながら、紙一重の勝利を掴むというのが毎回のパターンとなっています。

 もちろん、武蔵を料理するのにこういった題材を用いるというのは、作者のバックグラウンドを考えるにある意味当然のものとしてうなづけるものがありますし、それが時代小説と組合わさった時の意外性の妙味は、なるほど実に得難いものがあります。
 しかし、こうした本書の試みの上げる効果は、意外性や面白味といった点にとどまりません。人外の存在との対峙という異常な状況に放り込まれることにより否応なしに浮かび上がるのは、武蔵の人間味・人間性というべきものであります。

 本書のあとがきで、作者は、吉川英治の「宮本武蔵」によって剣聖としてのイメージが固定化された武蔵を、それ以前の、野放図で人間的な武蔵に戻したかった、という趣旨のことを語っています。
 その目的を果たすための手段として、SF的な人外の存在との対決を選んだのは、なるほど光瀬先生ならでは、と言うほかありません。

 …もっとも、どうしたわけか短編集の後半では、こうしたSF味はほとんど影を潜めて、普通の(?)時代ものの枠内に収まる内容ばかりになってしまって、武蔵のダメ人間っぷりばかりが目立つようになってしまうのが残念なのですが――


 ちなみに、番外編的な作品「松風に消ゆ」は、佐々木小次郎を中心に据えた内容。
 小次郎が鐘巻自斎の弟子にしては若すぎるというのは有名な突っ込みですが、それに対して、SF的にあまりに正面突破なアイディアで解釈してみせた作品で、これはこれで一見の価値ありかと。


「新宮本武蔵」(光瀬龍 徳間文庫 全二巻) 上巻 Amazon/ 下巻 Amazon

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