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2008.02.18

沼田清版「水滸伝」 水滸伝という物語の一つの可能性を

 「水滸伝」という作品は、設定的にもストーリー的にも、良くも悪くも穴が多いためか、様々な作家がリライトしていますが、その中で、一際異彩を放つのが、この沼田清&久保田千太郎版「水滸伝」。色々な意味で、これだけ印象的な水滸伝も珍しいでしょう。

 まず目を奪われるのは、そのあまりに印象的な登場人物たちのビジュアル。例えば、晁蓋は桜玉吉の自画像チックなスキンヘッド。梁山泊の宿敵たる高キュウも、何だかファンタジーRPGの悪役みたいな奇ッ怪な冠をつけていますし…もちろん、従来通りのイメージのキャラもいるのですが、これまでの「水滸伝」像を打ち砕くビジュアルショックであります。

 が――そんなキャラクターたちが織りなす物語は、原典以上に骨太でハードな世界。
 本作における梁山泊の最大の特徴は、彼らが一貫して革命思想を強く持った存在であり、それが彼らの行動原理であることでしょうか。
 確かに梁山泊入りのきっかけは様々ではありますが、彼らの求める理想は、現政府の打倒と、新たなる国造り。漫画に限らず、数ある我が国産水滸伝でも存外に珍しいベクトルから、本作は描かれていきます。
 その意味では、本作に一番近いのは、あの北方謙三版かもしれません。そういえば、梁山泊に打倒されるべき国家の象徴である本作の高キュウは、原典のように単なる姑息な佞人ではなく、むしろ北方版の童貫と蔡京を足して二で割ったような強敵でありました。

 もう一つ、本作を印象深いものとしているのは、男泣き度の高い人物描写でしょう。
 梁山泊入りした直後の廬俊義の姿など、その好例でしょう。原典では妻に裏切られても復讐したら割とあっさりしていた廬俊義ですが、本作では悲しみのあまりにほとんどアル中状態。その姿を見るに忍びず、大逆を覚悟で、燕青は酔い潰れた主人に刃を向けるのですが――やはりそれを振り下ろすことはできず、しかし、彼の行動に気づいていた廬俊義は、その想いに応え、再び立ち上がる…

 その男泣き度がMAXになるのは、終盤、好漢たちが一人、また一人と戦いの中に斃れていくシーン。流石に全員分はありませんが、非命に斃れる好漢たちの残す最期の言葉が、また最高に格好良くて…
 そしてラスト、原典通りに、李逵と共に宋江が死を迎えるのですが、その姿がまた素晴らしい。原典では、最後の最後まで迷惑な…という印象だった二人の最期が一変、いかにも豪傑好漢らしいその最期は、理想郷・梁山泊の最期と見事に重なり、心打たれます。
 梁山泊へ、そして全ての好漢たちに向けられた最期の言葉は、同時に全ての水滸伝ファンの心の叫びと申せましょう。

 ビジュアル的には微妙な部分はあれど、ドラマとしてはそれを補って遙かに余りあるこの水滸伝。水滸伝という物語の、一つの可能性を見せてくれた名品です。


「水滸伝」(沼田清&久保田千太郎 講談社) Amazon

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