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2008.03.18

「えんの松原」 心の中の昏い森

 故あって女童の姿で内裏で働く少年・音羽は、ふとしたことから東宮・憲平と知り合う。憲平が何者かの怨霊に悩まされていると知った音羽は、怨霊たちが巣くうといわれる宮中の魔所・えんの松原に向かうが、そこで彼が見たものは…

 小野篁伝説を題材とした「鬼の橋」に続く、伊藤遊先生の平安時代を舞台としたのが本作。前作は児童文学の域を超えた深い味わいの作品でしたがが、本作もそれに勝るとも劣らぬ名品であります。

 タイトルの「えんの松原」は、平安時代に――それも怪奇事件に――詳しい方ならばご存じかと思いますが、大内裏に存在したという一種の魔所。「今昔物語集」などには、887(仁和3)年に、この松原から手招きする美男に誘われて中に入っていった女官が、バラバラに食い殺された姿で発見されたという逸話も残る地であります。

 その魔所を主要な舞台として描かれる本作の中心に描かれるのは、対照的な二人の少年。その一人・音羽は、当時は怨霊の仕業と考えられていた疫病で両親を失い、怨霊に深い恨みを持つ少年であり、流浪の果てにつてを辿り、女装して内裏で働いているという一風変わった設定となっています。
 そしてもう一人の少年・憲平は、次代の天皇・東宮でありながら、気も体も弱く、しかも夜毎何者かの怨霊に悩まされている有様。全くの偶然から憲平と知り合った音羽は、彼を救うべく、怨霊の源と思しきえんの松原に挑むことになります。

 さて、この物語の中心にあるのは、憲平に祟る怨霊が何者であるのか、という謎解きであります。
 作中でえんの松原より現れ、憲平を悩ませるのは、彼が一度も会ったことのない、彼と同年代の少女。彼女は何者なのか、そしてなぜ憲平を呪うのか――その答えについては、もちろんここでは述べませんが、しかし、平安時代を舞台とした伝奇ものとしてユニークな趣向であり(このアイディアはちょっと他では見たことがないように思います)、そして同時に、成長物語としての本作にも絡む、実に見事なものでありました。
(さらにそれが音羽の特異なキャラクター像にも絡んでくるのにはただ感嘆)

 そしてさらに、この怨霊の意外な正体から導き出されるのはのは、華やかな都と、その中心部に蟠る魔所・えんの松原との関係であり、それは突き詰めれば、怨霊がこの世に存在する意味にもつながってきます。
 「何故えんの松原が存在するのか」「なぜ怨霊が存在するのか」…その命題が、「自分が自分であるとはどういうことか」という、一見全く関係ない命題と見事に絡まり合い、昇華する結末には、大いに唸らされました。


 内裏の中の魔所は、そのまま人の心の中に潜む昏い闇でもあります。しかしそんな陰の部分も等しくこの世の――人の心の一部として受け止める本作の眼差しは、実に暖かく、そして胸に迫るものがあります。子供たちはもちろんのこと、大人が読んでも――いやあるいは大人が読んでこそ――楽しめる素晴らしい作品だと思います。


「えんの松原」(伊藤遊 福音館書店) Amazon

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