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2008.04.18

田岡典夫のシバテンもの 鏡として象徴として

 リブリオ出版の「ポピュラー時代小説」シリーズの中で、先に紹介した「村上元三集」以上にある意味レアな作品が収録されているのが、この「田岡典夫集」でしょう。土佐の土着的な世界を描いてきた作者の作品の中でも、一冊にまとめられたことが非常に少ない、妖怪「シバテン」が登場するいわゆるシバテンものオンリーの短編集に本書はなっているのです。

 シバテンとは、土佐に伝わる妖怪で、本書の解説によれば、天狗の幼虫とでも言うべき存在。大きさは人間の子供くらいながら大層な力持ちで夜行性、人間相手に相撲で千人抜きできれば天狗になれるため、夜外を行く人間の前に現れては相撲をせがむという、どこかユーモラスで陽性の妖怪です。

 さて、本書に収録されているのは、武士同士の意地の張り合いが思わぬ結末に繋がる「シバテン榎」、「坊さん簪買うを見た」のよさこい節を背景に僻地でのシバテンの受難を描く「よさこいシバテン」、主人からの拝領妻が主人と縒りを戻して悶々とする下男のストレス解消法「逐電シバテン」、維新で没落した士族の武家の商法がシバテンに思わぬ影響を及ぼす「開化シバテン」、自由民権運動と警察との攻防に図らずもシバテンが参戦する「民権シバテン」と、全五編。

 これらの作品は、時代背景と登場人物を違えて、様々な物語が展開しますが、共通するのは、舞台が土佐であることと、シバテンが登場すること。
 いつどんな時代でも変わらぬ姿で現れ、変わらず相撲をせがむシバテン――どこか人間臭くて、しかし人間離れした純真さを持つシバテンは、人間というある意味シバテン以上に奇ッ怪な存在を映し出す鏡であると同時に、土佐という土地とそこに暮らす人々の、時代が移っても変わらぬ本質の象徴のように思われます。
 土佐は私にとっては全く縁遠い土地なのですが、もし作者がいまこの時を舞台にシバテンものを書いたら、果たしてどのような物語になるのかしらん、と想像してみるのは、なかなか面白いことでありました。


 ちなみに…本書で異彩を放つのは、冒頭に収められた作者のシバテンシリーズ第一作にして処女作(の改稿)たる「シバテン榎」。
 美少年に相撲に誘われ、友人との約束に遅れていった武士が、美少年との仲を揶揄されたことから、意地の張り合いの末に二人命を賭けた碁を打つことになるもこれに敗れて…という本作、他の作品とは異なり、実はシバテンが直接的には登場いたしません。
 結末で、この武士が、帰路に榎の木の下でシバテンに襲われ、思わず声を上げて助けを求めたことを恥じる旨の遺書を残して切腹したことが語られるのですが…さて。

 果たしてシバテンは存在したのか、シバテンとは何のことであったのか――人間心理の綾を描いた結末の、何とも言えぬ余韻が印象的であり、そして一連のシバテンものにおけるシバテンの存在についても考えさせられる一編であります。


「ポピュラー時代小説 10 田岡典夫集」(田岡典夫 リブリオ出版) Amazon

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