« 「豪談武蔵坊弁慶」 「ダイナミック」な豪傑伝 | トップページ | 「鬼魔 さよりの章」 鬼とは何か、人とは―― »

2008.05.23

「ふたり道三」 凄まじくも美しい戦国の「絆」

 刀鍛冶・おどろ丸は、赤松家の依頼で刀を打った際に、松波庄五郎という男と交誼を結ぶ。庄五郎の導きで美濃に身を寄せたおどろ丸は、そこで武将として頭角を現していくが、勢力抗争の中で肉親を失ってしまう。以来、梟雄への道をひた走るおどろ丸改め長井新左衛門尉だが、その前に好男子・松波庄九郎が現れる。その庄九郎こそは、彼と強い縁で結ばれた男だった…

 斎藤道三という人物から我々が受ける印象というのは、やはりあまりポジティブなものがありません。一介の油売りから身を起こしたというのは立志伝的ですが、しかし道三の場合は、その後の行動の印象から、戦国時代の下克上――この場合は没義道とほぼ同義で使われますが――の象徴のように思われているのが現実です。
 多くのフィクションでも、このイメージに基づいて道三像は描かれていますが、しかし、爽快かつ雄大な時代伝奇小説を描かせたら当節右に出るものがいない作者が道三を書かいたらどうなるか? その答えは、既存の道三像を踏まえつつも、希望に満ちた爽快極まりないドラマでありました。

 そんな離れ業を可能としたのが、近年の主流的学説という、道三二人説。すなわち、道三の業績として伝えられるのは、彼一人ではなく、父の代からのものと合わさってのものという説ですが、本作はそれを単純に採用するだけでなく、それを踏まえて更なる伝奇的ストーリーを生み出しています。

 その中心となるのが、新左衛門尉の前身が、後鳥羽上皇の怨念を継ぐ櫂扇派の刀鍛冶だったという設定。歴史が動く時、常にその刀があったと言われる櫂扇の刀を巡る因縁と宿業の物語は、冒頭から結末に至るまで、本作を貫く縦糸の一つとして描かれていくこととなります。
 しかし、この櫂扇が象徴するものは、歴史を動かす怨念が籠められた血、つまり死だけではありません。それと似ているようで全く異なるもの…歴史を紡いでいく人々の血、すなわち絆をも、同時に象徴しているのです。

 道三を評する時、決まって用いられる「梟雄」という言葉を、本作においては、覇業のためであれば父を、子を斬ることのできる性根を持つものとして描いています。
 この無情極まりない概念を、本作が「斎藤道三」の中にどのように具現化させるか――それはここでは述べませんが、そこで描かれる凄まじくも美しい「絆」の形と宿業からの解放の姿には、必ずや胸打たれることと思います。

 もちろんこの道三の血の因縁については、本作の長大な内容の一部であり、その他にも本作を構成する要素は様々に――そして実にドラマチックに、エキサイティングに――存在しています。実に個性的な数多くの人物が活躍する群像劇(特に、女として、妻として、母として強烈な業を持った新左衛門尉の妻・関の方の人物像は強く印象に残ります)としても、豪傑や忍者たちが活躍する時代活劇としても、そしてもちろんこれまで通りの道三の国盗り物語としても、本作を読むことは可能ですし、事実そのように企図されていることは間違いありません。

 しかし私は、あえて「ふたり道三」という題材を選んだところに、そしてその道三を櫂扇の太刀を受け継ぐ者と設定したところに、作者の、人間という存在に、そしてその人間の絆が生み出す歴史に対する希望というものを感じるのです。
 そしてその希望こそが、宮本作品を貫く爽快感の源ではないかと――今更ながらに感じる次第です。


「ふたり道三」(宮本昌孝 新潮文庫全三巻) 上巻 Amazon/中巻 Amazon/下巻 Amazon

|

« 「豪談武蔵坊弁慶」 「ダイナミック」な豪傑伝 | トップページ | 「鬼魔 さよりの章」 鬼とは何か、人とは―― »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/13655/41290345

この記事へのトラックバック一覧です: 「ふたり道三」 凄まじくも美しい戦国の「絆」:

« 「豪談武蔵坊弁慶」 「ダイナミック」な豪傑伝 | トップページ | 「鬼魔 さよりの章」 鬼とは何か、人とは―― »