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2008.05.30

「江戸のナポレオン伝説」 ナポレオン、日本に来たる?

 江戸時代にナポレオンが、と言うと、「びいどろで候」とか「仕事人アヘン戦争へ行く」とか、いかものめいたものを連想してしまいますが、もちろん本書で扱う内容はそれとは異なります。
 閉鎖的な外交環境にあった江戸時代に、ナポレオンという存在が、いかに受容され、いかに影響を与えていったかを述べた研究書であります。

 そもそも、ナポレオンが生きた時代が日本ではいつ頃にあたるか見てみれば、ナポレオンが誕生した1769年は日本では明和六年、御用人田沼意次が老中格になった年であり、フランス皇帝になった1804年は文化元年、高野長英が生まれて間宮林蔵が宗谷海峡を探検した年。そしてセントヘレナ島で没した1821年は文政四年、「大日本沿海輿地全図」が完成した年――要するに江戸時代後期、しばらくすると幕末の足音が聞こえてくる時期であります。

 そう考えてみると、江戸時代にナポレオンの情報が入ってきても何ら不思議ではないように思えますが、もちろん状況は単純ではない。鎖国状態にあったことはともかくとして、欧州での唯一の貿易相手であったオランダが、実はそのナポレオンのフランスに破れ、その支配下に置かれていた状況(そしてこれが、かのフェートン号事件の背景なのですが)で、オランダがその事実をひた隠しにしてきたことが話をややこしくしたと言えます。

 本書でまず語られるのは、そのような状況下において、当時の日本の学者・研究家たちが、如何にして当時の欧州の大変動を察知し、その中心たるナポレオンの存在を知ったか、知らざるを得なかったが語られます。
 それは裏返せば、遠く欧州でのナポレオンの動向の影響が、結果的に日本においても無視できないものであったということであり、さらに言えば、いかに鎖国下であったとしても、日本が諸外国の動向と無縁ではなかったということの現れ。冷静に考えれば全く当たり前のことではありますが、一見全く関係のないような一個人の動向が、津波のごとく日本にまで押し寄せてくるという歴史の、国際政治のダイナミズムには感心いたします。

 しかし個人的に実に興味深く感じられたのは、その次に語られる、個人レベルにおいても、ナポレオンがやがて日本に受け入れられていく様であります。
 「日本外史」を著した儒学者・頼山陽が、ナポレオンを顕彰する詩を詠んでいたというのは(知識としては知っていましたが)ちょっとしたトリビアというべき事実。その内容自体は、確かにナポレオンを中国の英雄豪傑のように描いており(それはそれで実に楽しいのですが)、あまりにも無邪気な英雄礼賛ではありますが、しかし日本においては極めて安定した政治・社会状態にあった――そしてそれは身分の固定化と同義であった――時代において、元は平民に過ぎなかった一個人が天下を揺るがしたという事実は、上記のマクロなレベルとは別の意味で、十分に衝撃的であったろうと納得できます。

 そしてその衝撃が、後の佐久間象山、吉田松陰にも――つまりはその門下にあった、思想の影響下にあった数多くの人々にまで――影響を与えたというのは、伝奇小説顔負けの展開ではありませんか。

 もちろん、マクロレベルにおいても、ミクロレベルにおいても、ナポレオンが日本に与えた影響を過大評価することは、現実認識を誤ることになるかとは思います(あくまでも、影響の一要因として考慮すべきでしょう)。
 しかし、日本においてナポレオンの存在が認識され、受容されていたということは紛れもない事実であり、その点に私はたまらない興味を覚えるものであります。


「江戸のナポレオン伝説 西洋英雄伝はどう読まれたか」(岩下哲典 中公新書) Amazon

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コメント

甥っ子の三世はたまに見かけますが、ナポレオン本人を交えた伝奇ものって、あんまりありませんね。
セントヘレナを脱出して日本に来ると言うのも読んでみたいです。なんか琉球に興味を示していたとか言う話もありますし。

投稿: 木村 | 2008.05.31 02:33

木村様:
ナポレオン本人が登場するお話は、今回の冒頭に挙げましたが、小説はすぐには思いつかないですね。ナポレオン脱出説はありますから、うまくいけば…
と、ナポレオンと琉球! 初めて知ったので驚きましたが、調べてみると、なるほど、こういうことですか…事実は小説より奇なりですね。

投稿: 三田主水 | 2008.06.02 00:28

ナポレオンと江戸時代というと、『御庭番明楽伊織』を思い出します。
ナポレオンが登場する伝奇小説が明治時代にいくつか出ていますが、幕末からの流れを受けているのでしょう。
仮名垣魯文 『倭国字西洋文庫』(ナポレオンの伝奇小説)とか杉山蓋世『午睡の夢』(ナポレオンが諸葛亮孔明や豊臣秀吉と戦う)といった小説があることが雑誌「幻想文学」33号の「日本幻想文学年表」で紹介されていました。

投稿: 町田 | 2008.06.02 06:34

町田様:
実は今ごろ本書を取り上げたのは、「御庭番 明楽伊織」の影響で…
それにしても、明治以降の書籍も視野に入れると、想像以上にナポレオンの影響は大きいのですね。これはちょっと予想外でしたが、大いに興味をそそられますね。

投稿: 三田主水 | 2008.06.03 23:40

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