「鬼魔 さよりの章」 鬼とは何か、人とは――
村の若者・冶八は、倒れた祖母を治してもらうため、村で崇められている女神様にすがろうとお館様の屋敷に忍び込む。しかし彼が見たのは、女神とは裏腹な扱いの少女の姿だった。なりゆきから女神――さよりの世話役となった冶八は、いつしか彼女と深く心を通わせるようになるが…
鬼と女性をモチーフにした連作短編ホラーシリーズ「鬼魔」の一編である本作は、おそらくは平安以前の時代を舞台としつつ、鬼とは何か、そしてそれと表裏一体の、人間とは何かという点まで踏み込んだ佳品であります。
冶八が忍び込んだ先で目撃した女神の真の姿――それは、片目を潰され、足を折られ、言葉も知らず自分の名――さより――しか知らない、喰うことしかしらない少女。
赤子の頃に拾われた彼女は、簡単に言えば村の災厄をその身に引き受け、神に捧げられる生け贄となるためにのみ育てられていた存在なのでありました。
もうこの時点で勘弁してくださいと言いたくなりますが、神に捧げるための生け贄を共同体が用意するというのは、洋の東西を問わず聞く話でありますし、また、これほど極端かどうかは別として、ある時代まで、日本の村落で特殊な役割を背負わされた人・家が存在したのは事実でありましょう。
しかし、そうした冷厳な歴史上の事実以上に重く胸に迫るのが、彼女の存在が――そして本作の中で繰り広げられる人々の行動全てが――己のみのためではなく、愛する者たちを生きながらえさせるためであることでしょう。
人が人として生きるため、人が人を傷つけ、人が人を差別し、人が人を犠牲とするのであれば…人とは一体何なのか。
そして、人が人であることを止めたとき――止めさせられたとき、人は何になるのか。
本作に込められた問いかけは、どこまでも重く、苦いものがあります。
(これはネタバレになりますが、「鬼魔」に収録された作品の多くで、女性の業が極まるところ鬼に変じている一方で、本作で鬼に変じる者の純粋さが強調されていることを考えると、さらに暗澹たる気持ちにならざるを得ません)
正直なところ、「鬼魔」に収められた作品は、作者の若い頃の作品ということもあってか出来にいささかムラを感じるのですが、本作は間違いなく集中トップクラスの完成度。本作のためだけでも、「鬼魔」を手にしていただきたいところです。
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