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2008.06.21

「常世桜 地神盲僧、妖ヲ謡フ」 桜はいつもそこにある

 東京の片隅、桜の木の傍らの堂宇に住まう盲僧・清玄。伴侶たる琵琶・十六夜とともに三宝荒神を祀り、地を鎮め邪霊を祓う地神盲僧たる彼のもとには、常に不思議な依頼が舞い込む。移ろう時代の中、清玄が十六夜をかき鳴らす時、人間・妖・自然・神々の間に奇跡が起こる。

 フィクションを通して、現実の歴史的事実を知るというのはしばしばあることですが、地神盲僧、地神経読みという存在のことは、恥ずかしながら本作を読むまで全く知りませんでした。
 琵琶を掻き鳴らし、地神を祀る経文を唱える盲僧という存在は、それ自体が伝奇的で魅力的に映りますが、その一人を主人公に据えた本作は、地神盲僧という現実の存在を活かしつつも、そこに作者一流のアレンジを加えることにより、一読忘れがたい印象を残す佳品として成立しています。

 本作は、七つの短編から成る連作短編集。現代・昭和初期・明治・江戸・南北朝・平安・そして再び現代――移ろう時代の中で、まるで彼だけは時が止まったままのように存在し続ける地神盲僧・清玄と、彼の琵琶・十六夜が出会う不可思議な事件が、味わい豊かに描かれています。
 清玄に助けを求めるのは、いずれも尋常ならざる者/モノばかり。当然、持ち込まれるのも、常ならざる難題ばかりですが、それを時に鮮やかに、時に呻吟しつつ清玄が解決していく――というのが本作の基本スタイルであります。

 こう書くと、よくあるゴーストハンターもののように思えますが(その要素もなくはないですが)、しかし彼は人も妖も神々も、須く天然自然のものとして愛し、受け止める地神盲僧。単に邪を祓い、魔を鎮めるのではなく、琵琶の調べに乗せて、全てのものをあるべき姿に、あるべき所に帰していく、ある意味何者よりも優しいその姿が、何とも魅力的に感じられます(それでいて超然としているわけではなく、ひどく人間くさい部分があるのも楽しい)。

 そんな清玄の見えない瞳に映る自然の姿は、ひどく儚く、常に変転していく一方で、その変化をも受け入れ、どこまでも逞しく、変わらず在り続けるものとして描かれます。
 それは一見矛盾しているようですが、咲いた桜が幾ばくもなく散る一方で、翌年には同じ木に桜が咲くように――決して不変ではない、しかし失われていくばかりではない存在、巡り巡っていつか帰りくる存在、それが自然なのです。
 そして本作のユニークな構成、上記の通り現代に始まり、時代を遡っていった果てに再び現代に戻るという構成もまた、それ自体が、この自然の有り様を表しているのだと、理解できます。


 常世という言葉とは、異界の楽園――常世の国を指す一方で、常に変わらないこと、という意味を本来持ちます。
 今までもこれからも、桜はいつもそこにある――そして清玄もまた。万物が変わりゆく中で、それは何と心慰められることではありませんか。


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