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2008.07.09

「妖魔」(アニメ版) 忍者と妖怪に人間を見る

 以前紹介した、楠桂の時代ホラー漫画「妖魔」のアニメ版をようやく見ることができました。
 本作が製作されたのは1989年、OVAが山のように作られていた時期という印象がありますが、劇場公開されただけあって、絵・動き・音等のクオリティはなかなかのもの。何よりも脚本を担当したのが時代劇アニメと言えばこの人! の會川昇氏だけあって、原作を巧みにアレンジし、原作が元々持っていた可能性を引き出してみせた内容は、原作ファンが見ても実に面白いものとなっておりました。

 本作は、上巻「緋影魔境編」と下巻「魔狼兇牙編」の二部構成。上巻は原作第一章をほぼ忠実に映像化していますが、下巻は原作第二・四~六章をベースに再構成を行っています。この下巻のアレンジのおかげでヒロイン・妖の追い忍たちや、緋影の兄貴分の風巳が思い切り割りを食った面はありますが、しかし、原作の弱点の一つであった、物語構成や人物配置にうまく噛み合っていない点が見られたこと(それはまあ連載作品ゆえのものとは思いますが)が、この再構成により、ほぼ解消されているのは特筆すべき点でしょう。

 さて、そんな本作の、最も大きな原作との相違点の一つは、史実とのリンクがより強くなっている点であります。。
 原作では、桶狭間の合戦の背後に妖怪の存在があったことが触れられる程度であったのに対して、アニメ版では緋影と魔狼は武田家配下の忍びであり、(妖怪に殺害された)信玄の死を秘するため、同じ時期に抜け忍となった魔狼に追っ手が放たれる…というように、冒頭から、史実が物語に関わってくる形となっています(さらに下巻では、追いつめられた勝頼が魔狼=鬼陸皇子の力を借りんとし、それと引き替えに今度は武田忍びから緋影が狙われるというシチュエーションが)。
 このように史実とリンクさせることにより、作品に時代ものとしてのダイナミズムが生まれたのはもちろんのこと、忍びの行動の裏に命令者の存在を描くことで、その行動により一層のリアリティが生まれると同時に、クライマックスで語られる、人に命ぜられるがままに動き、殺し合うしかない忍びたちの、どうしようもなく人間的な側面を浮かび上がらせているのには感心させられました。

 そして、何よりもこのアニメ版で注目すべきは、上記の忍びの行動の中で浮かび上がる、人間というものの姿、人間というもののあり方でしょう。原作では、人間よりもむしろ妖魔寄りの存在として描かれていた忍びが、このアニメ版においては、ある種の人間性を体現したものとして描かれていたのには驚かされます。
 いや、忍びだけではありません。明確に人間の敵、人外の存在であるはずの妖魔もまた、人間あってこその存在、人間性が生み出したものと語られるのには、さすがは…と唸らされました。そして同時にそれが、何故魔狼の中の鬼陸皇子がこの時期に目覚めることとなったのか、という問いへの答えにもなっているあたり、見事なものです。


 妖魔とは何か、人間とは何かという問いかけの先にある、人間という存在のあり方そのものに、原作以上に踏み込んでみせた本作。原作とは異なるラストの展開も、本作のアプローチであれば納得がいくものがありますし、そしてラスト、緋影にのみ聞こえた魔狼の言葉が、何とも皮肉かつ切なく――そしてわずかの希望とともに――聞こえたことです。
 残念ながら、本作も日本国内ではDVD化されていないのですが、レンタル店などに置いてある場合もあり、機会があればご覧いただきたい隠れた名品であります。


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