「雪山飛狐」 武侠藪の中
雪山を舞台に激しく三つ巴の争いを繰り広げる武林の達人たちが誘われた先は、雪山飛狐なる達人を迎え撃たんとする山荘だった。そこに集った者たちの口から語られるのは、かつて李自成に仕えた四つの家の因縁から始まる、長きに渡る暗闘の歴史と、達人たちの赤裸々な姿だった。
ドラマDVDの発売と期を一にして文庫化された本作、続けてビフォアストーリーである「飛狐外伝」の文庫化も開始されたこともあり、いい機会と読み返してみました。
全一巻と、作者の長編作品の中では最も短い作品である本作は、一言で表せば、武侠小説版「藪の中」(あるいは「羅生門」)。すなわち、ある事件を取り巻く人間たちの様々な角度からの証言から、複雑怪奇な真実が浮き彫りとなる――そんな作品であります。
ある武術流派の頭首の怪死と、その人物が遺したある品物を巡る争奪戦から幕を開ける本作は、その冒頭部分こそ典型的な武侠小説的展開ですが、しかしすぐに本作は独自の色彩を見せることとなります。
争闘を演じていた一同が雪山の山荘に誘われ、そこで語られるのは、伝説的な達人・苗人鳳の過去の死闘、そしてその発端である李自成配下の四人の達人の因縁。しかし一人が語った物語は、その次に語るまた別の人間が語ることにより、全く別の姿を見せはじめることになるのです。
かつて中国を席巻した反乱の指導者李自成の死と、彼に仕えた胡・苗・范・田の四人の達人の子孫の間で繰り返される死闘。彼らの子孫である苗人鳳と胡一刀の大決闘。同じく子孫である田帰農の謎めいた死。そして雪山に隠された秘密と陰謀――過去と現在にまたがる様々な謎の真実と、それを取り巻く武林の達人たちの虚飾に満ちた姿が、一人一人の証言を紡ぎ合わせることにより浮かび上がっていく展開は、実にエキサイティングであります。
そして、物語の題材的にはいかにも武侠小説的なものを背景としているだけに、その中で描き出される赤裸々な人間模様は、より鮮烈に印象に残るのです。
単に派手な伝奇活劇としてだけでなく、その中での人間描写の巧みさが金庸作品の魅力であることは言うまでもありませんが、本作で描かれる、行い澄ました達人たちの、その生々しすぎる裏の顔の描かれようは、金庸作品でも出色ではないでしょうか。
もちろん、決して人のネガティブな面ばかりが描かれるわけでなく、苗人鳳と胡一刀の決闘を通して描かれる、二人の豪快かつ痛快な――まさに、親指を立てて「好漢なり!」と称えずにいられないような――人間像は、二人の子のほほえましい交流の姿と合わせて、本作における一服の清涼剤であるとともに、人と人との有り様における、一つの希望として感じられます。
しかし、そんな小さな希望すらも雪崩の如く押し流していくのが人の業というもの。
数々のドラマの果てに到達した、意外な結末は、作者自身がこうとしか描けなかった、というのはもちろんそうなのでしょうが、しかしそれと同時に、作者の「さあ読者諸君、君は人間というものを信じられるかね?」という問い掛けのようにも感じられた次第です。
「雪山飛狐」(金庸 徳間文庫) Amazon

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