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2008.09.25

「消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿」 時代と世界の境界線上で

 「誘拐児」で2008年の江戸川乱歩賞を受賞した翔田寛が、実在の人物であるチャールズ・ワーグマンを探偵役に、明治初期の横浜で起きた怪事件の数々を描いた連作短編推理小説であります。

 本書で探偵役を務めるワーグマンは、イラステレイテッド・ロンドン・ニュースの特派員として幕末の日本を訪れ、以降、維新前後の日本の姿を描き、発信し続けた人物。日本人女性と結婚し、終生横浜に在住したこの人物を、本書では、豊かな知性と観察眼、そして異邦の文化への理解溢れた魅力的な人物として描き出しています。

 このワーグマンが挑むのは、以下の五つの事件――
 相次いで目撃された逆しまの姿の日本の幽霊と、奇怪な容貌の西洋の幽霊と、仇討ち禁止令直前に仇を討ったという青年を巡る事件が交錯する「坂の上のゴースト」
 吝嗇で知られる日本通の英国人商人が、自宅で、畳の上で左前の着物を着て腹に刀を突き立てた姿で発見される事件の謎を解く「ジェントルマン・ハラキリ事件」
 ロミオとジュリエットめいた恋の行方を背景に、外国人芝居の席で起きた山高帽子盗難事件をワーグマンと日本の歌舞伎俳優が裁く「消えた山高帽子」
 精神を病んだ姉が、かつて横浜で起きた殺人事件の犯人ではないかという青年の疑いから、哀しい人間心理が浮かび上がる「神無月のララバイ」
 そして聖誕祭直前に、密室となった教会の中で発見された二人の青年の死体と、その捜査を強硬に拒否する司祭の姿から、奇怪な人間関係が描き出される「ウェンズデーの悪魔」

 いずれも、推理小説としてのロジカルかつトリッキーな魅力は言うまでもなく、描き出される人間ドラマの巧さと、それを見つめるワーグマンの眼差しの温かさがあいまって、実に楽しい作品となっています。
 が、私が本書において真に感心したのは、これらの作品のほとんど全てが、この時代、この場所でなければ起こり得ない事件を描き出している点であります。

 舞台となる明治六年は、言うまでもなく、明治維新の激動冷めやらぬ時期。そしてまた横浜は、そんな日本の中心のすぐ近くにあって、それでいて異国に最も近かった場所であります。
 本書はそんな、近世と近代、そして日本と異国の境界線上でなければ有り得ないシチュエーションを前提とした上で事件を構築しており、その意味では優れた時代小説である、と言えるでしょう(そしてまた、そのような作品において、自らが日本と異国の境界線上にあるワーグマンが探偵役を務めるのは、ある意味必然的といえるかもしれません)。

 しかし、一見それとは矛盾しているようですが、本書は同時に、現代にも通じるような普遍性をも兼ね備えています。
 それは――人が人を想う心。本書で描かれる事件を事件たらしめているもの、事件を一層複雑としているものは、いずれも、誰かが誰かを愛し、慈しむ心なのであります。
 たとえ時代が、場所が変わろうとも、人が人を想う心ばかりは変わらない。そんなことを、本書は無言のうちに訴えかけてくるように思います。

 その意味で、本書において個人的に最も印象に残った作品は、「消えた山高帽子」。この作品のゲストキャラクターであり、重要な位置を占める歌舞伎役者・市川升蔵が、事件の中で見たもの、感じたもの…それこそまさしく、この時代と世界を越えて通底する、人が人を想う心であったことが、作中ではっきりと述べられているのですから――
 本書において、この作品が表題作とされているのも、あるいはこのためではないかと感じた次第です。


「消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿」(翔田寛 創元推理文庫) Amazon
消えた山高帽子―チャールズ・ワーグマンの事件簿 (創元推理文庫 M し 3-1)

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