「運命峠」 無私の愛を謳う名作伝奇
大阪城落城から二年、己の生きる意味を求めてさまよう浪人・秋月六郎太は、天草で徳川方に追われる豊臣秀頼の遺児・秀也を救う。己が育った武蔵野に秀也を伴い、育てることとした六郎太だが、ついに秀也は柳生宗矩のもとに囚われてしまう。秀也の身を賭けて六郎太は、将軍家光の御前で剣鬼・宮本武蔵との決闘に望むが。
三田の田は柴田の田、であるくらいに柴田錬三郎ファンである私ですが、柴錬作品の中でも特に好きな作品は、と問われれば、一つに絞るのは難しいものの、本作が最有力の候補であることは間違いありません。
今回、この感想を書くために本作を読み返したのですが、時代小説としての面白さに感心したのみならず、一個のドラマ、ロマンスとしての素晴らしさに、深い感動を覚えた次第です。
本作は、特にキャラクター配置をみれば、柴錬先生お得意のパターンの作品であります。
出生の秘密を背負い、虚無の色濃い剣豪。彼に仕える好人物の忍者。主人公を一心に慕う薄幸のヒロイン。主人公のライバルとして対峙する剣鬼。その他、血気に逸る若者に、登場人物たちの生き様を見守る善知識――
その意味では、本作は柴錬作品の一典型と言えるかもしれません。
しかし、そんな本作が、他の作品を遥かに上回る感動を私に与えてくれたのは、主人公をはじめとする登場人物たちの多くの行動原理が、無私の愛に貫かれていることであります。
愛する者のために、か弱き者のために、己の命を賭ける、捧げる…本作では、そのような人間たちの姿と、何よりもその美しさ、尊さが数多く描かれるのです。
もちろんそれは、本作が、甘ったるい人情話であったり、ひたすら楽観的な理想論を語る作品であることを意味するものではありません。混沌から秩序への過渡期である江戸時代初期を舞台とした本作の世界観は、むしろその真逆――弱肉強食とまでは言わぬまでも、弱き者が、理不尽な暴力あるいは権力の前に涙に暮れることが当たり前の世界であります。
心正しき者が必ずしも報われるわけではない残酷な世界――しかしそのような世界であるからこそ、人として正しい道を歩みたい、愛する者を守りたいという人々の心の叫びが強く胸を打つのです。
剣豪小説として、伝奇小説として稀有の面白さを持ちつつ、人間らしく生きることの素晴らしさ、美しさを謳いあげた本作。ロマンチストとしての柴錬先生の側面が強く表れた名作であります。
「運命峠」(柴田錬三郎 ランダムハウス講談社時代小説文庫 全4巻) 第1巻 Amazon/第2巻 Amazon/第3巻 Amazon/第4巻 Amazon




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