「真田昌幸 家康狩り」第2巻 対決、二つの武士道
数え七歳となった真田源五郎は、武田家の「人質」として、信玄の下で武将としての英才教育を受けることとなる。一方、天涯孤独となった醜鳥は、思わぬことから、松平竹千代――後の徳川家康になりかわることとなる。源五郎――後の昌幸と家康、対照的な二人は、運命の交錯の果てに、遠州三方ヶ原で遂に激突する。
徳川家康を最も苦しめた男・真田昌幸の生涯を、伝奇的視点を用いつつ描いた「真田昌幸 家康狩り」の第二巻の登場であります。
第一巻では、昌幸の誕生から数え五歳での初陣までが描かれましたが、今回は七歳から二十六歳まで、彼の青春期が描かれることとなります。
扱われる時期が第一巻よりも長く、また戦国史的に見ても激動期にあること、そして何よりも、本作のもう一人の主人公と言うべき徳川家康サイドからの描写もあって、正直なところ、第一巻に比べると慌ただしい印象もあるこの第二巻。
特に、なかなかに個性的な登場人物たち一人一人に、十分な活躍の場面が与えられているわけではないのが何とも勿体なく感じます。
しかしながら、ベテランの技と言うべきか、比較的長期間に起きる様々な事件を、複数の視点から描きながらも、展開は巧みに整理されて、混乱することなく最後まで一気に読み通すことができるのは、さすがと言うべきであります。
内容にも、影武者徳川家康どころか、影武者松平竹千代というアイディアを投入することにより、単に伝奇性の点からのみならず、昌幸と家康の対比、因縁というものを、より鮮明に描き出しているのが目を引きます。
さて、そんな中で、個人的に非常に興味深く読んだのは、昌幸と「表裏比興」という言葉の出会いであります。
「表裏比興」は、昌幸を評する際に必ずと言ってよいほど使われる言葉ですが、本作においては、その言葉が信玄の口から、それも武田軍学の秘伝として語られるのが実に面白いのです。
「比興」とは、言い換えれば「卑怯」であり、そこにはネガティブなイメージがつきまといますが、しかし彼を評する場合には、それは「したたかさ」「しぶとさ」という、むしろポジティブなものに転化します。
ここでいかにも作者らしいとニヤリとさせられるのは、その彼の生き様の由来を「室町武士道」に見出しているところであります。
「武士道」と一口に言っても、戦国時代(=室町時代)と江戸時代以降のそれは大きく異なります。江戸時代のそれが封建社会の秩序維持のための規範だとすれば、戦国時代のそれは――私見ですが――力持てる者が己を律しつつも自己実現を図るための生き方。
室町時代を舞台とした作品を得意とする作者にとって、こうした室町時代の武士のあり方は自家薬籠中の物として描くことができるものでありましょうし、それだからこそ本作の真田昌幸像が印象的に感じられるのか、と悟った次第です。
さて、上で触れた江戸武士道が生まれたのは徳川政権下。その徳川政権の生みの親は言うまでもなく徳川家康――そう考えてみると、本作で描かれる真田昌幸と徳川家康の対決は、室町と江戸、二つの武士道の対決でもあります。
史実からすればその結末は明らかと思えるかもしれませんが、本作の中では、そうそう素直に終わるわけがありません。
今後描かれるであろう、室町武士道の最後の意地の行方を楽しみにしているところです。
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