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2008.12.28

「マドモアゼル・モーツァルト」 天才であること、自分であること

 昨日は東京芸術劇場で音楽座のミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」を観てきました。
 演目も劇場も劇団も初めてづくし(さらに言えば、お恥ずかしいことに原作は未読)でしたが、実に興味深く、面白い舞台でした。

 原作は福山庸治氏が20年近く前に「モーニング」誌に連載したコミック。このミュージカルもその連載終了後まもなく初演されたもので、結構な話題となったと記憶しておりますので、ご存じの方も多いと思います。

 本作は、あの天才ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトは実は女性だった! という大胆なアイディアを中心に、「彼女」に振り回される周囲の人々の悲喜劇を描いた物語ですが、題材が題材だけに、ミュージカルとの相性は上々。
 舞台装置は驚くほどシンプルではあるのですが、それが舞台上で繰り広げられる歌と踊り、そしてそれが描き出す物語と相まって、逆にこちらの想像力を縛ることなく、かえって様々な情景をこちらの脳裏に浮かび上がらせるのは、ちょっと日本の古典芸能チックにも感じられて、興味深く感じました。

 しかし何より唸らされたのは、舞台上をほとんど出ずっぱりで彩る存在として、モーツァルトの四大オペラの登場人物をモチーフとした十四人の精霊が登場すること。
 コーラスにダンスに、舞台上を賑やかに飾るというミュージカルとしての演出として優れていたというだけでなく、彼らがモーツァルトの回りに常に存在することで、常に霊感と閃きによって音楽を生み出してきたモーツァルトの天才性を描き出す効果を挙げているのには、この手があったかと感心いたしました。


 さて、本作のような男女入れ替わりの物語というのは、洋の東西を問わず存在しているお話。それだけこのモチーフは魅力的であるということなのでしょうが、しかしそれだけでなく、それぞれの物語で、男女が入れ替わる必然性というものがあるはず。
 では本作におけるそれは…と、観劇中ずっと考えていたのですが、それを一言で表せば、モーツァルトの天才ゆえの孤独を強調するため、なのでしょう。

 天才は常に孤独、というのはよく聞く言葉ではありますし、モーツァルトがその天才であったのも間違いはないでしょう。しかしそのモーツァルトの孤独を、インパクトとフィクションとしての面白味を持ちつつ、かつ天才としての存在感を失わせずに描くか(天から才能を与えられた者が異形であるのは、古来より用いられるモチーフであります)、と考えたときに、なるほど女性説はうまい手法だと感心させられます。

 しかし本作ではそこに留まらず、ジェンダーの問題を絡めることにより「自分が自分であること」を描き出すことによって、天才一個人の物語ではなく、我々にとっても普遍的な共感を呼ぶ物語として仕上げているのが、心憎い仕掛けと感じます。

 もっとも、そのためにはモーツァルトと父、モーツァルトと妻の関係など(特に後者)を、もう少し突っ込んだ方が、彼の心のゆらぎをより明確に描けたのではないかとも感じるのですが…これは時間的な制約もあるのかしらん。


 そんな小さな引っかかりもありますが、まずは、久しぶりにミュージカルらしいミュージカルを観たと、実に満足できる舞台でした。
 聞けば、本作の音楽を担当した小室哲哉の事件で、直前になってCMも流せなくなり、上演も危ぶまれたとのこと。そんな困難を乗り越えて素晴らしい舞台を作り出してくれたキャスト(特にモーツァルト役の高野菜々さんには感心いたしました)とスタッフには、心から敬意を表したいと思います。

 そして、小室さんの曲も、こうして時代を超えて受け継がれていけばいいなあ…と思うのでした。

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