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2009.05.19

「東天の獅子 天の巻・嘉納流柔術」第1巻 「気持ちの良い」小説

 本を読んでいて「面白い」「楽しい」と感じることはしばしばありますが、ごくまれに「気持ち良い」と感じることがあります。
 この「東天の獅子」第一巻を読んだときに感じたのは、まさにそれ。講道館の嘉納治五郎と四天王の生き様は、まさにこう評するのが相応しいと感じられるのです。

 本作は柔道の生みの親である嘉納治五郎と、彼を支えた講道館四天王――志田(西郷)四郎、横山作次郎、山田丈太郎、山下義韶――らを通して、柔道の成立過程を描こうという一種の伝記的小説。
 元々は、かのグレイシー柔術の祖とも言うべき前田光世(コンデ・コマ)の伝記として描かれるはずが、あまりに長大になってまず「天の巻・嘉納流柔術」として全四巻が刊行されることとなったというのは、これは実に獏先生らしいエピソードですが、しかしこと本作においては、それを感謝したいほどです。
 東京大学の学生であった嘉納治五郎が、古来から伝わる「柔術」を理論化・体系化して、嘉納流・講道館流柔術とも言うべき新たな格闘技「柔道」を生み出す――そんな無味乾燥な事実を、治五郎をはじめとする登場人物の姿を通じて、実に魅力的物語として、本作は再生しているのですから。

 何よりも印象的なのは、柔術から柔道を生み出そうという治五郎の想いと、それに賛同し、あるいは感化されていく人々の姿であります。
 維新を経て、既に武士の世は終わり、その方便の道である武芸もまた、時代遅れの遺物となった明治という時代――いや、武芸のみならず、日本がかつて持っていた文化、いや気風そのものを顧みず、ただ闇雲に西洋化を進めていこうとする時代。
 そんな時代にあって、柔術を選び、育てていこうとする治五郎の姿は、単に新たな流派を開こうという格闘家の域を超えて、一つの文化を守り、作り上げていこうという人間としての魅力に溢れており――そしてその治五郎と、彼にに触れて同じ道を往こうとする弟子…いや仲間たちの持つ心意気が、何とも清々しく、気持ち良いのです。

 もちろん、どのように新しい理想を掲げようとも、あくまでも柔術は武術――相手を傷つけるための力とは無縁ではいられないもの。これまでそうであったように、夢枕先生の筆は、本作でも、そうした武術の昏い側面も余さず描き出しています(あの大東流合気柔術の武田惣角が、いかにも夢枕格闘小説チックなキャラクターとして描かれているのにはニンマリ)。
 しかし、治五郎と仲間たちは、それすらも前向きに超えていくことができるのではないかと、そう信じることすらできてしまう――本作は、そんな小説です。

 本書の巻頭で、夢枕先生は「書いたことを全て忘れて、一読者としてこの物語に沈溺したいと本気で思う。いいなあ。まっさらな状態でこれが読めるなんて。あなたのことが、ぼくは本当にうらやましい。作者が本気で読者に嫉妬しているのであります。」と記しています。
 「この小説は面白い」は、夢枕先生お馴染みの謳い文句ですが、少なくとも本作においては、上記の言葉が全く真実のものであると、心から感じる次第です。


「東天の獅子 天の巻・嘉納流柔術」第1巻(夢枕獏 双葉社) Amazon
東天の獅子〈第1巻〉天の巻・嘉納流柔術

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