「やまだら」 悩みを映す水鏡の剣
(伝奇)時代ものばかり追いかけていると、時として驚くような組合せに出会うことがありますが、私にとっては本作「やまだら」もその一つ。
「やじきた学園道中記」の市東亮子先生が、深甚流の開祖・草深甚四郎を主人公に描いた連作短編集であります。
草深甚四郎は、加賀国草深村に生まれたと言われる戦国時代の実在の剣豪。実在と言いつつも、その事績は乏しく、廻国修行中の塚原卜伝と立ち会い剣で敗れて槍で勝った、水を切ったら遠くの人間が真っ二つになった、天狗にさらわれて剣術を習った――そんな挿話のみが残る甚四郎は、剣術家が妖術使いと同義だった時代の人物と言ってよいでしょう。
その甚四郎を評するに、本作で用いられているのが題名となっている「やまだら」。おそらく「だら」とは、北陸の方の方言で「ばか」といった意味の「だら」だと思いますが、つまりは、山に棲んでいる馬鹿者、といったくらいの意味でしょうか。
確かに本作で描かれる甚四郎像は、剣豪剣聖とはほど遠い、田夫野人という言葉そのままの姿。兵士と農民の境がかなり曖昧であった戦国時代であっても、この甚四郎の姿は、かなり特異ではあります。
が…この甚四郎、姿は数十年前から全く変わらぬまま年を取らず、剣を取っては塚原卜伝から富田重政まで様々な剣士を翻弄し、そして刃では切れぬ怨霊の類も断つという、一種の超人。天狗や山の神の化身とも見える――が、一方でひどく人間臭い、不思議な存在として描かれています。
この甚四郎像自体、十分ユニークなのですが、本作の主題は、しかし、その甚四郎を描くというよりもむしろ、甚四郎を通して、剣を持つ者の業を描くことにあるように感じられます。
本書に収録された全四話の短編のうち、第一話は塚原卜伝の供をしていた百姓出身の下男が、そして第二話以降は、後に甚四郎の後継者として「甚七」の名を継ぐ少年・小七(と若き日の「名人越後」富田重政)を中心として物語が描かれます。
彼らに共通するのは、優れた剣を振るいながらも、心中に悩みと迷いを抱え、己の往くべき道を探している点。そんな彼らが、「やまだら」と出会うことで、少しずつ自分自身と向き合い、自分の足で歩み始める姿が、本作では描かれていくのです。
冒頭に挙げた挿話で、甚四郎が振るったという妖術めいた秘剣のことを「水鏡」と呼ぶこともありますが、本作においては、甚四郎の存在自身が、水鏡として悩める者の姿を映す…ということなのでしょう。
(ちなみに第四話では、遂に甚四郎が自身の姿を現すことがないのですが、水鏡が澄み切ったゆえ、ということなのかもしれません)
「剣豪」を題材にした作品としてはかなりユニークなスタンスでありますし、全一巻四話で完結という短さもあって、通常の剣豪ものを期待する方にはちょっと勧め難いのは確かですが、しかし、「剣の道」というものと向き合い、描き出した不思議な味わいの物語として、印象に残るものがあります。
作者の言によれば、この他にも上泉伊勢守信綱、神子上典膳、柳生連也斎、などなど描きたい剣豪は何人かいるとのこと。今後も独自の剣豪譚が描かれることに期待したいと思います。
「やまだら」(市東亮子 幻冬舎バーズコミックス) Amazon

| 固定リンク

コメント