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2009.08.17

「海王」下巻 神に残された者たち

 さて「剣豪将軍義輝」の続編「海王」の下巻であります。
 上巻終盤で本能寺の変により信長を討ち、ハイワンを将軍に奉じて天下を掌握しようとした光秀。その光秀を討って天下に最も近い位置に立った秀吉に対抗せんとする家康の切り札は――

 と、この下巻では、信長亡き後、山崎の戦から小牧・長久手の戦までを背景に、新たなる時代を開こうとする者たちの争いのまっただ中に、ハイワンは置かれることとなります。
 多くの読者は上巻の時点で気付いているかと思いますが、下巻で登場する将軍義輝のもう一人の遺児。その遺児の存在が台風の目となって、終盤に至るまで、激しい争奪戦がこの下巻では描かれます。

 その中で描かれるのは、もちろん、ハイワンと仲間たちの痛快かつ颯爽たる活躍であります。
 数々の強敵――その中には、「天下」という言葉とほぼ同義の相手も含まれていて――を向こうに回しながらも、彼らの戦いに悲壮感の欠片も感じられないのは、彼らを突き動かしているのが、私欲や義務感などではなく、人間にとって最も好ましく、そして欠くべからざる念である「情」「愛」「義」であるからに他なりません。
 その想いが、心ある人々を動かしていく様は、これこそ宮本作品、と胸を熱くさせられるものがあります。


 さて、通読して感じさせられたのは、本作が「神が去った後に残された者たちの物語」であるということです。

 戦国という時代を終わらせるべく戦い続けた足利義輝――本作の中心となる信長・光秀・秀吉・家康は、いずれもその義輝の間近にいて、その影響を受けてきた者たちであります。
 その義輝が非命に倒れた後、すなわち彼らにとっての神が去った後に、その想いを如何に受け継ぐか。ある者は自らが神になろうとし、ある者は神を利用しようとし、ある者は神を作り出そうとし…その道は様々に分かれましたが、その行動の根底には――本人が意識しているとしていないとに関わらず――同じ神の存在があったと言えます。

 しかし、その神の子、新たなる神となるべきハイワンは、明確に自らが神であることを否定し、人間としての生を求めます。
 そのある意味裏切りとも言える行動は、当然のことながら激しい争いを生み出すことになりますが――しかし、それを潜り抜けて後、ようやく人々は、そして時代は神の存在という呪縛から逃れられたのでしょう。
(それが一面、ハイワンというキャラクターのある種の薄さに繋がってしまった面は否定できませんが)

 尤も、誰よりも強く、悲しいまでに賢明にその神を追い求めた男の最後に、何ともやりきれぬものを感じてしまったのは、これは仕方のないことだとは思いますが…


 「剣豪将軍義輝」は、一つの時代の終わりの物語でありましたが、この「海王」は、一つの時代の始まりの物語。もはや神を必要としない時代になったからこその、本作の展開であり結末であると…そう最後に感じた次第です。

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海王〈下〉


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