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2009.11.10

「新作水滸伝 宋江と梁山泊の英傑たち 水滸之誓」 水滸伝、故郷に帰る

 現在日本各地で公演を行っている、中国国家京劇院の「新作水滸伝 宋江と梁山泊の英傑たち」を観てきました。
 京劇と水滸伝は決して珍しい取り合わせではありませんが、日本では観る機会が非常に少ないもの。しかも「新作」とある通り、新たに製作された演目とのことで、これは観ないわけにはいくまい、と出かけた次第です。

 今回の演目のベースとなっているのは、原典の第61回から第67回にかけての、北京大名府を舞台とした件。
 番頭の裏切りで謀反の濡れ衣を着せられて捕らえられた大名府の豪商・廬俊義。主人の危難を救うため、廬俊義の使用人・燕青は梁山泊を頼るのですが、大名府ではかの名将関羽の子孫・関勝が出陣してきて…
 と、百八人集結直前のエピソードを描いたこの舞台ですが、上に挙げた通り、盧俊義と燕青、関勝の他、宋江・林冲・扈三娘・王英・時遷といった原典でもお馴染みの好漢が登場、実に賑やかな舞台でした。

 それにしても驚かされたのは、京劇と水滸伝のあまりの親和性の高さ。最初は京劇独特の衣装や隈取りに目が行きましたが、話が進むうちに全く違和感はなくなり、大げさに言えば、これまで親しんできた水滸伝のキャラクターたちがそのまま抜け出してきたような感覚で観ることができました。
 特に終盤の立ち回りは、想像以上に激しい動きだったこともあってか、原作の豪傑同士の激突の描写を映像化すればこのようなものではないかと――これはちょっと思い入れ過剰かもしれませんが――感じました。

 しかし考えてみれば、水滸伝の原型の一つは、京劇成立以前から演じられてきた大衆演劇。その意味では舞台というのは水滸伝にとっての故郷でもあるわけで、これは似合っても何も不思議ではありません。
 それに、元々の身分も職業も異なる面々が集まっている梁山泊は、コスチュームやアクションの多様性という観点からしても、実に舞台向けであると今更ながらに感じた次第です。

 もっとも、現代劇の視点で観ると、キャラクター描写が甘い部分があるのは事実。特に梁山泊を毛嫌いしていた関勝や廬俊義が、宋江の言葉一つでコロッと参って仲間入りしてしまうのはさすがにどうかと思うのですが(これら場面の葛藤の演技は実にオーバーで面白いのですが)、これは原作からしてこうだから、まあ良しとするべきでしょう。
 それよりも、今回梁山泊入りするのが、革命勢力とは対極にある大富豪の廬俊義という点に、やはりある種の意図を感じてしまうわけですが…


 閑話休題、マニア視点からのあれこれはさておき、この舞台の何たるかを語るには、私の周囲の観客の様子を記せば足りるでしょう。

 地方の会場であったためか、客層はおそらく京劇も水滸伝も初めてと思われる、年配の方が大部分を占めていたのですが、その方々が終盤では舞台上の一挙手一投足に拍手を送り、カーテンコールでは俳優たちに手を振って歓呼の声を挙げていたのですから――
 舞台という故郷に帰ってきた水滸伝にとって、これは何よりの反応でありますまいか?


 と、あんまり綺麗にまとめるのも何なので、ここで恥ずかしながら白状すれば、実は私は京劇を観るのは今回が初めて。
 せめて、京劇の隈取りの持つ意味――日本の古典芸能で言えば能の面や文楽の頭が持つ、この役柄にはこれ、というもの――だけでも、事前に勉強しておけば、より一層楽しめたのに…と、少々後悔いたしました。
 何しろ、舞台上には多い時で20名ほどの梁山泊の好漢が登場するのですが、役名がわかっているのはそのほんの一部。あとは隈取りと衣装で察するしかないのですから…水滸伝ファンとしてはその辺り、何とも歯がゆかった次第です。


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