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2009.12.22

「水滸伝」 第26回「野望、砂漠に果つ」

 高求は都に戒厳令を発し、帝を廃して高求王朝を樹立しようとしていた。高求が民衆を人質にすることを恐れる林中は、仲間たちと共に先遣隊として都に潜入、帝と言葉を交わすことに成功する。ついに梁山泊の総攻撃が始まったその混乱の中、高求は帝を殺そうとするが、林中たちが立ち塞がる。その場は逃れた高求だが、砂漠の中に次々と供は倒れ、ついに一人となる。その前に現れた林中と高求の最後の対決は林中の勝利に終わり、高求の野望も潰えるのだった。林中たちは、権力を民衆の手に戻すという決意も新たに、梁山泊に帰っていくのだった(完)

 このNTV版「水滸伝」もついに最終回。百八人揃った梁山泊と、高求の最後の対決が描かれます。

 前回、民衆からも石持て追われた高求ですが、最後の手として都・開封に戒厳令を発し、己の下に権力と財を集約。逆らう者は次々と処刑し、帝の御座す宮廷を配下の兵に囲ませるという傍若無人ぶりであります。
 梁山泊の総攻撃を前に、民衆にあえて不安を募らせ、恐怖を抱かせて力ある者=自分を頼らせようという、マイケル・ムーアが激怒して突撃取材してきそうな戦略を立てた高求の最後の目的は、高求王朝の樹立! …って何だか語呂が悪いですが、帝の陰に隠れるのではなく、自分自身で前に出ようというのは、本作の高求らしい、ある意味あっぱれな悪役ぶりです。

 その野望に対し、挑むのは林中・扈三娘・史進・公孫勝・鉄牛・花栄の梁山泊精鋭陣。色々あってメインどころの豪傑が全員揃うことはない本作ですが、この顔ぶれはさすがに最終回らしく納得のメンツではないでしょうか(ちなみに宋江は、総攻撃引き伸ばしの説得をしたりと後方支援役。本作での中間管理職的役どころは良かったですね)。
 ――あ、全員揃うことはないと書きましたが、今回、砂漠に逃れた高求を足止めするために、公孫勝が見せた幻術という扱いで、勢揃いが見れました。…オープニング映像の流用ですけどね。

 さて、ついに最後の対決となった林中と高求ですが、その第一ラウンド、高求が帝(今回も登場、若き日の水谷豊。第23回での経験があったためか、今回はずいぶんと頼もしく見えます)を殺さんとして、林中たちが割って入る場面は、林中が高求の罠に嵌められた白虎節堂が舞台。
 そしてその後、捲土重来を期して高求が逃れていく道のりは、奇しくも林中が無実の罪で流刑となった際のそれと、第1回に重なる展開となっているのが心憎い。

 思えば本作は、林中と高求、二人の対決の物語でもありました。そう考えれば、ラストに、百八人勢揃いを待つ前に、林中が高求と一騎打ちすることを望むという展開も納得であります(というか百八人揃った後、高求をどうするつもりだったのか考えるだに恐ろしい…)。
 ここで、砂漠をさすらった末にヨレヨレになった高求に水と食料を与える林中も武士の情け(?)を知る者ですが、それを断って、渇けばお前の血を啜り、飢えればお前の肉を喰らうと、水を地面に吸わせてしまう高求も、また一国を狙った悪党らしい態度。

 最後の対決は、倒れる高求を林中が刃で受け止めるような形で決着がつきましたが、この二人ならではの想いというものがあったのでは…というのは感情移入しすぎでしょうか。
 倒れた高求を見下ろして、「天下をわが物にしようとして、最後に得た物は一握りの砂だ」というどこかで聞いたような気がする林中の言葉も、実に良いのです。

 そして、一つの戦いを終え去っていく林中たち。皆、元の暮らしに戻るがいいと言いつつ、自分は権力を民衆の手に戻すまで戦い続ける! というのは――その場合、皇帝は国民の象徴ということになるのかしらん――ちょっと混乱しますが、まあラストに野暮は言いっこなし。
 悲劇に終わった原典と異なり、見事巨悪を滅ぼして凱旋する梁山泊の豪傑たち…まずは「水滸伝」一巻の終わりであります。


 ちなみに、序盤からしばしば登場した謎の梁山泊キャラ・登竜はこの最終回もしっかり登場。名前的には原典で二竜山を支配していたトウ竜か、百八星の一人の金銭豹子湯隆から来ていると思うのですが、そのどちらともしっくりこない…最後の最後にこんなことを書くのも何ですが、本当に最後まで謎のキャラクターでした。

 次回、全体を通しての感想を。


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コメント

テレビ版「水滸伝」最終回のアップ、楽しみに待っていました。この作品を見て、「水滸伝」に興味を抱き、上下巻からなる書物(おそらく80回底本を元にしている本でした)を読み、近年駒田氏訳の120回本を読むに至った事を思えば、まさに「水滸伝」の原体験といえるテレビでありました。
本作のテレビ版放映に触発され、拙宅にてあらすじ・解説全話アップをしてしまいましたが、こちらの解説を読む度に、ああ、この話にもちゃんと原典はあったのね、と己の理解不足を痛感したものです。26話全話解説、大変楽しかったです。

投稿: 黒猫亭 | 2009.12.22 13:50

これまでの応援、本当にありがとうございました。自分以外誰も喜んでいないのではないかという気持ちの中、本当に支えとなりました。

「水滸伝」は決して不変ではなく、変化成長していく物語だと思っていますが、このドラマ版も、その成長の一つの形として楽しむことが出来ればと、原典との比較も重視してきました。

これを機に、水滸伝に興味を持つ方が一人でも増えてくれればと思います。

投稿: 三田主水 | 2009.12.24 23:22

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