「夢幻ウタマロ」 翻案を超えて描かれたもの
版元の勧めで、吉原の紅蓮太夫の大首絵を描き、以来、売れっ子絵師となった鬼多川歌魔呂。一方、その美貌で吉原に君臨するようになった紅蓮太夫は、歌魔呂の絵が、その時々の自分の心の内を映し出すことに気付く。それを人に見られることを恐れた太夫は、歌魔呂抹殺を決意するが…
最近は時代もの…というより歴史ものもコンスタントに執筆している永井豪先生ですが、それと平行して描かれた伝奇色の強い作品が、この「夢幻ウタマロ」であります。
あの天才絵師・喜多川歌麿(本作では鬼多川歌魔呂)が、その想いを込めて吉原一美女・紅蓮太夫を描いた似顔。
それは、彼女の分身と化したように、彼女しか知らぬ内面を――悪徳に染まっていく内面を浮かび上がらせ、それに対し太夫本人はいつまでも変わらず美しいまま…
とくれば、本作の題材となった作品は明確でしょう。オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」であります。
(紅蓮(ぐれん)太夫が吉原で籍を置くのが桃里庵(とうりあん)というもじりもベタですが面白い)
元々本作は、西洋文学を漫画化するという企画から生まれたとのことですが、しかし永井豪が題材をそのまま漫画にして良しとするわけがありません。
舞台を江戸に、主人公を歌魔呂に設定したのは翻案の最たるものですが、それだけでなく、歌魔呂を狙う存在として、平賀源内、実は公儀隠密・黒羽幻内などが登場するのも面白いところ。
何故か凄まじい戦闘力を持つ歌魔呂は、襲い来る御庭番や殺し屋たちを次々と倒していくのですが、この辺り、「豪談 歌魔呂」と言いたくなってしまうノリで、ちょっと懐かしくなってしまいました。
もっとも、歌魔呂の正体や幻内との対決が、うやむやのうちに終わってしまうのはどうかと思いましたが…(後者はまあ一応の解決を見るのですが)
それはさておき、本作が原典とある意味最も異なる点であり、本作ならではの味わいを生み出している点は、ドリアン・グレイに当たる紅蓮太夫を、吉原の花魁に設定した点ではないでしょうか。
たとえどれほどの栄耀栄華を極めようと、突き詰めれば己の身を売って生きるしかない太夫。
そんな世界に生きる彼女は、本人が望むと望まざるとに関わらず、必然的に堕落と悪徳の中で暮らすことを余儀なくされます。
歌魔呂の絵は、そんな太夫の罪を象徴し、彼女の内面の醜さを具現化したもの。
原典のドリアン・グレイは、絵に己の罪と老いを背負わせ、若さと美貌を謳歌しましたが、本作の絵はむしろ、太夫に己の内面の醜さを認識させ、追いつめていく役割を担っているように感じられます。
それだからこそ、太夫は絵を恐れ、その魔力の源と信じた歌魔呂を殺さねばならなかった。
先に述べたように、本作ならではの要素として歌魔呂のアクションシーンがあるのですが、それはこの太夫の殺意に依るものであり、その意味では必然性があることになります。
そしてまた感心させられるのは、それほどの絵を描いた歌魔呂が、最初から最後まで、太夫の心情を理解できていなかったことが暗示されている点であります。
歌魔呂の眼をもってなお捕らえられぬほど太夫の業が深かったのか、いや、そもそも男女の間の、いや人と人の間の溝はそれほど深いものなのか…
単なる翻案を超えたものを見せてくれる佳品――決して派手な作品ではありませんが、こういう作品も良いものです。
「夢幻ウタマロ」(永井豪とダイナミックプロダクション 講談社アフタヌーンKC) Amazon

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