« 「無限の住人」 第十一幕「羽根」 | トップページ | 一月の時代伝奇アイテム発売スケジュール »

2010.12.30

「天主信長 我こそ天下なり」 人と権力と信長と

 天正十年六月二日未明、明智光秀は本能寺に信長を襲い、信長は炎の中に消えた。しかしその直後、光秀は「まさにあのお方のもとに、天下は統一されるのだ」と呟いていた。果たして光秀は何故信長を攻めたのか? その陰には信長の恐るべき意図が働いていた…

 上田秀人といえば、江戸時代を舞台とした時代活劇が印象に残りますが、戦国時代を舞台とした歴史小説もコンスタントに発表しています。
 その中でも本作は、本能寺の変と、そこに至るまでの信長の生涯、そして彼の周囲の人々の人間模様を描いたなかなかユニークな作品です。

 信長が光秀に討たれた本能寺の変については、衝撃的な内容の反面、その原因が今なお明確でないことから、様々なフィクションの題材となってきました。
 もちろん本作もその一つであり、まず冒頭で、光秀が信長を本能寺に襲うお馴染みの(?)場面が描かれることとなります。…が、しかしその直後、光秀が謎めいた言葉を呟くことで、俄然興味を引かれることになります。


 そこから時代は遡り、描かれるのは、信長の比叡山焼き討ちの場面から、本能寺に至るまでの信長の生涯。
 本作における信長は、身内を含めた周囲の裏切りと、宗教勢力の反発に生涯手を焼いた人物と描かれます。

 若き日に弟と対立し、その後も配下や周囲の裏切りに手を焼いた信長の前に立ち塞がるのは、戦国武将のみならず、延暦寺や本願寺といった宗教勢力なのですが…
 本作においてその信長を見つめ、特異な人物像を浮かび上がらせるのが、二人の軍師――竹中半兵衛と黒田官兵衛の両兵衛である点に本作の特色があります。

 本作の終盤近くまで、信長を見つめる竹中半兵衛は自らに武将としての器量(人望)がないことを自覚し、そして何よりも自らの余命が幾ばくもないことから、名利には興味を持たず、ただ信長の進める天下布武の行方を知りたいとのみ願う人物として描かれるのが面白い。
 そしてそんな半兵衛であるからこそ、信長は彼に心を許し、そして半兵衛も信長の唯一の理解者となるのですが――それが、彼に信長の狂気とその行き着く先を見抜かせることとなります。

 一方、官兵衛は、死にゆく半兵衛が唯一後事を――信長の狂気の行方も含めて――託すに足ると認めた人物。
 しかし、裏切りを嫌う信長の猜疑心の強さもたらした仕打ちが、官兵衛にある想いを抱かせることになり…


 その両兵衛を通じて描かれる信長が究極的に目指したもの――それは、一族を配下を、いや天下万民に裏切られぬ存在。現世利益のみならず来世の栄光を求める者にも等しく仰ぎ見られる存在。

 信長が実は自らその存在たらんとしていた、というアイディア自体は、正直なところ本作が初めてではありません。
 が、そこに至るまでの信長の想いを――第三者の視点を用いつつ――描いた上で、その理想が歪み、歪められていく様を、一種伝奇的手法をもって浮かび上がらせる様は、実に読み応えがあります。

 デビュー以来、ほとんど一貫して、権力の持つ魔力と、それに対して人がいかに身を処すべきかを――伝奇風味を濃厚に――描いてきた上田秀人。
 信長と、彼を巡るドラマを描いた本作もまた、その系譜に連なるものであることは言うまでもありません。

 人が権力を生み、権力に人が操られる――我々はその軛から逃れることができるのか。本作のタイトルを見れば、その問いが、皮肉な想いとともに浮かび上がるのです。

「天主信長 我こそ天下なり」(上田秀人 講談社) Amazon
天主信長 我こそ天下なり (100周年書き下ろし)

|

« 「無限の住人」 第十一幕「羽根」 | トップページ | 一月の時代伝奇アイテム発売スケジュール »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「天主信長 我こそ天下なり」 人と権力と信長と:

« 「無限の住人」 第十一幕「羽根」 | トップページ | 一月の時代伝奇アイテム発売スケジュール »